篠原美琴

マッサージ室の秘め視線(第2話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第2話:再訪の夜、首筋を這う指

 数日後の平日夜、雨音がアスファルトを叩く中、遥は再び路地裏の店へ向かった。肩の凝りは解けていたはずなのに、体奥に残るあの熱が、静かに疼いていた。予約の電話を入れた時、声に出さず思った。再び、あの視線を浴びたい、と。三十五歳の日常は変わらず、夫の帰宅は遅く、互いの会話は短い。だが今夜、この店が、僅かな空白を埋める場所のように思えた。

 扉を押すと、同じアロマの香りが迎える。受付の女性が穏やかに頷き、廊下を案内した。足音が雨に混じり、施術室のドアが開く。拓也は前回と同じ黒いシャツ姿で、静かに立っていた。目元に影が差すその表情に、遥の息が一瞬、止まる。

「今夜もお疲れのようですね。どうぞ」

 言葉少なにベッドを指し、遥は頷いた。施術着に着替え、うつ伏せになる。タオルが肩から腰までを覆い、肌に密着する感触が、前回の記憶を呼び起こす。部屋は薄暗く、窓辺に雨粒が叩きつけ、街灯の光が揺れる。平日遅く、静寂が深く、重い。

 拓也の指が、肩に触れた。布越し、ゆっくりと圧を加える。凝りをほぐす動きは変わらずプロフェッショナルだが、遥はすぐに気付いた。指の軌道が、前回より僅かに内側をなぞる。肩甲骨の内側、首筋へ移るその感触に、体が無意識に緩む。

 沈黙が訪れる。拓也は何も言わず、指を滑らせる。首筋の付け根、タオルの端を優しく押すように。布一枚隔てた熱が、遥の肌に染み込む。耳朶が熱くなり、息が浅くなる。背中で感じる彼の気配が、近づく。視線だ。また、あの視線。鏡張りの壁に映る拓也の姿を、遥は半目で捉えた。目が、タオルの隙間を静かに追う。

 指が首筋をなぞるように動き出す。ゆっくり、円を描きながら上へ。鎖骨の辺りで止まり、布の縁を軽く押す。触れていないのに、遥の喉が鳴った。息づかいが聞こえる。拓也の呼吸が、指の動きに合わせてわずかに乱れ、部屋の空気に溶け込む。遥もまた、息を潜めていた。互いの息が、重なり合う。触れぬ距離で、心臓の鼓動が同期するような錯覚。

「ここ、張りが強いですね」

 低く響く声に、遥の体が微かに震えた。返事の代わりに、かすかな吐息が漏れる。指が再び首筋を這う。タオルの下で、肌が敏感に反応する。熱が、首から胸の奥へ広がる。視線が絡みつく。拓也の目が、鏡越しに遥の横顔を捉え、動かない。遥は目を閉じ、委ねる。無意識に、体をベッドに沈め、首を僅かに傾ける。指を迎え入れるように。

 時間は淀む。雨音だけが、規則正しく響く。拓也の指が、首筋のラインを往復する。布越しの圧が、甘く疼く。遥の耳が熱く、頰が上気する。息が途切れ、互いの気配が濃くなる。拓也の視線が、より深く沈む。遥は感じていた。あの視線が、ただの施術ではないことを。だが、抗えない。心の奥が、静かに疼き始める。

 拓也の動きに、僅かな変化が生じた。指が腰へ降りる前に、棚の隅に視線を移す。そこに、施術器具に紛れた小さなレンズが、静かに回っていた。店内の照明を借り、ベッドの姿を捉えていた。遥の委ねる体躯、タオルの微かなずれ、首筋の火照りを。レンズは無音で、彼女の息遣いを記録していた。拓也の目が、再び遥に戻る。視線とレンズ、二重の眼差しが、布越しの肌を撫でていた。

 遥は知らない。だが、体は感じ取っていた。何か、秘められた熱を。指が腰のラインを押す。骨盤の辺りで止まり、布を軽く整える仕草。触れぬ距離が、逆に甘い。遥の背中が、微かに弓なりに反る。息が重なり、部屋の空気が熱を持つ。沈黙の中で、互いの存在が、近づく。

 施術の半ば、拓也がようやく口を開いた。

「仰向けに、変えていただけますか」

 遥はゆっくり体を起こし、仰向けになる。タオルが胸元まで覆われ、首筋が露わに近い。拓也の指が、再び首へ。布越しに、鎖骨をなぞる。視線が、真正面から絡む。遥の目が、僅かに開く。二人の視線が、触れ合う。息が止まる瞬間。拓也の瞳に、影が揺れる。レンズが、横からその一瞬を捉える。

 指の熱が、首筋から胸の谷間へ近づく気配。遥の体が、無意識に委ねる。息遣いが、互いに響き合う。心の奥が、甘く疼く。触れぬまま、肌が震える。沈黙が、二人を包む。

 施術が終わった。拓也がタオルを整え、遥に起き上がるよう促す。彼女はゆっくり体を起こし、顔を合わせた。頰が熱く、首筋に残る感触が、鮮やかだ。拓也の目が、穏やかだが、奥に熱を宿す。

「今夜も、楽になりましたか」

「……はい。とても」

 言葉を交わす間、視線が離れない。遥の体に、深い余韻が残る。首筋の疼きが、心まで染みる。拓也は静かに頷き、予約帳を差し出す。

「次は、いつにしますか」

 遥は喉を湿らせ、指で日付をなぞった。雨が強まる中、店を出る。路地を歩きながら、体が熱い。あの視線と指の記憶が、頭から離れない。レンズの存在など知らず、心の奥で、次なる夜を待ちわびていた。

(第2話 終わり 約1980字)

次話へ続く──三度目の視線、微かな距離の縮まり。