この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。
## 第1話:カウンターに落ちる微かな吐息
夜のホテル受付は、柔らかな間接照明に包まれていた。三十代半ばの女性、佐伯澪は、いつものように冷静な表情で予約確認の作業を進めていた。黒の制服が彼女の細い肩を包み、動き一つに無駄がない。常連客の名前を目にしたとき、彼女の指がわずかに止まった。
彼は毎週のようにこの時間に現れる。三十代後半の男性で、言葉数は少なく、しかし視線は鋭い。澪がカウンターの奥から顔を上げると、二人の視線が重なった。沈黙が一瞬、空間を満たす。
「いらっしゃいませ。ご予約のお名前をお伺いします」
彼女の声は低く、落ち着いている。業務として整えられたトーンだ。しかし、喉の奥で何かが小さく震えた。昨夜から続く、抑えきれない熱が、声の端に滲み出そうとする。澪は唇を軽く結び直した。
男性は書類に目を落としながら、ゆっくりと名前を告げた。その声の響きが、彼女の耳に届いた。澪は画面を操作する指を動かしつつ、視線を上げないようにした。なのに、彼の視線は確かに彼女の肩、首筋、そして唇の動きを捉えている気がした。
心臓の鼓動が、静かに速まる。業務の合間、彼女は一度だけ深く息を吸った。吐き出す息が、わずかに熱を帯びて喉元で震える。音にはならなかった。けれど、その振動が自分自身にだけ伝わり、胸の内側をゆっくりと溶かしていく。
「ルームキーをお渡しします。エレベーターは右奥です」
澪はカードを差し出した。指先が触れ合うことはなかったが、視線の熱が残る。彼がカードを受け取り、軽く頷いたとき、澪の唇が再び微かに開いた。抑えていた息が、ほんのわずか、声にならない震えとなって漏れかける。
彼の足音が遠ざかるまで、澪はカウンターに両手を置いたまま動かなかった。胸の奥で、何かが静かに疼き始めている。自分の声が、いつしか彼を強く引き寄せていることに、彼女は気づき始めていた。
次に彼が訪れる夜まで、あと数日。澪は再び業務に戻りながら、喉の奥に残る熱を、そっと飲み込んだ。