この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。
## 第1話:座敷の湯上がり、揺らぐ爪先
秋の終わり、平日を狙った一人温泉旅行だった。男は三十五歳の独身、仕事の隙間を縫ってこの山間の旅館にやってきた。普段の都会の喧騒から逃れ、湯に浸かり、静かな夕餉を味わう。それだけのはずだった。
チェックインを済ませ、部屋で浴衣に着替える。窓の外はすでに薄暮、木々の葉ずれが遠くに響く。湯船に身を沈め、熱い湯気が肌を這う感触に、ようやく肩の凝りが解れる。上がると、浴衣の裾が湿り気を帯び、足元がわずかに重い。
夕食の時間。旅館の座敷へ案内される。畳の感触が素足に柔らかく、男は卓に着く。個室ではない、長い一枚卓の宴敷き。向かい側に、もう一人の宿泊客がいる気配。視線を上げると、女性だった。三十歳前後か、黒髪を緩くまとめ、湯上がりの頰がほんのり上気している。彼女も一人、静かに酒杯を傾けている。
女将が膳を運び、湯豆腐、焼き魚、季節の山菜を並べる。箸の音だけが響く中、男の視線は自然と下へ落ちた。卓下、浴衣の裾がわずかに乱れ、彼女の素足が露わになっている。湯上がりの肌は湿り気を帯び、淡い桃色に輝き、爪先が畳に軽く触れている。足指が、微かに動いた。足の内側の辺りで、第二の指が他の指を優しく押すように、息づかいのように揺れる。
男の息が、止まった。心臓の鼓動が耳元で鳴る。視線を逸らそうとするのに、できない。彼女の踵は丸みを帯び、湯の湿気が残る皺が、柔らかく刻まれている。爪は無垢に磨かれ、薄い光を反射して、座敷の灯りに溶け込む。足の甲がわずかに反り、静脈の青みが透けて見える。あの肌に触れたら、どんな熱か。指先が沈み込む柔らかさか。
彼女は気づいていないのか、それとも。箸を口に運ぶ仕草で、浴衣の裾がさらにずれ、足裏の弧が覗く。男は酒を煽る。喉が熱く、胸の奥がざわつく。視線を上げると、彼女の目がこちらを捉えていた。一瞬、沈黙。互いの瞳が、卓上を隔てて絡みつく。彼女の唇が、わずかに湿る。微笑みではない。ただ、視線を落とさず、足の先をゆっくりと動かす。爪先が畳を撫で、微かな擦れ音が、男の耳にだけ届く気がした。
心が熱く疼く。距離があるのに、肌が反応する。指先が震え、卓下で自分の足が固くなる。彼女の足は、動かない。いや、動いている。内くるぶしの辺りが、湯気の残り香を纏い、静かに息づいている。男は息を潜め、視線を足元に落とす。彼女も、同じく。沈黙の視線が、足の間で交錯する。互いの距離を、量るように。どれだけ近づけるか。どれだけ、覗けるか。
夕餉が終わり、女将が膳を下げにくる。彼女が立ち上がる。浴衣の裾が足を覆い、踵の柔らかな肉付きが一瞬、浮かぶ。男の視界に焼きつく。廊下を去る彼女の後ろ姿、足音が軽く響く。ぱたり、ぱたり。素足の湿った音が、畳を叩く。
部屋に戻る。男は布団に腰を下ろし、息を吐く。胸のざわめきが収まらない。あの足の微かな動きが、脳裏に繰り返し浮かぶ。爪先の揺れ、踵の皺、湯上がりの光沢。指が、無意識にカメラに伸びる。鞄の奥、小型の一眼。普段は風景を撮るだけだが、今夜は違う。衝動が、胸を締めつける。
廊下の静寂。遠くで、扉の音。彼女の足音か。ぱたり、と近づく気配。男の指が、レンズを握る。息を殺し、ドアの隙間から覗く衝動に、身を震わせる。
(第2話へ続く)
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