篠原美琴

白い肌に絡む同僚の視線(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:夫の留守に招かれた夜の沈黙

 平日の夕暮れ、窓辺に差し込む薄い光が、遥の白い肌を淡く染めていた。二十八歳の彼女は、会社のデスクワークを終え、いつものようにアパートの居間に腰を下ろす。夫の浩一は今夜も遅くなる。地方から上京して八年、結婚して三年。この街の静かな夜は、いつも二人だけのものだった。

 玄関のチャイムが鳴ったのは、七時を少し過ぎた頃。遥は立ち上がり、ドアを開ける。そこに立っていたのは、浩一の会社の同僚、健太だった。三十二歳の彼は、数ヶ月前、浩一の紹介で一度だけ顔を合わせたきり。背が高く、細身の体躯に、くつろいだシャツ姿。浩一から事前に連絡があった──仕事の書類を預かってほしい、と。

「すみません、急に。浩一さんから、渡しておいてくれって」

 健太の声は低く、穏やかだった。遥は小さく頷き、彼を居間に招き入れる。夫の留守という状況に、わずかなためらいが胸をよぎる。でも、拒む理由はない。浩一の信頼する同僚だ。

 居間は簡素で、ソファと低いテーブルだけ。遥はキッチンから湯を沸かし、コーヒーを淹れる。背を向けている間、背後に健太の気配を感じる。静かだ。足音一つしない。湯気が立ち上る音だけが、部屋に響く。

 カップを二つ、トレイに載せて戻る。健太はソファに座り、膝に書類の入った封筒を置いていた。遥がテーブルにカップを置くと、彼の視線が、ふと彼女の首筋に落ちる。白い肌。シャツの襟元から覗く、細い鎖骨のライン。夕暮れの光が、そこに柔らかく影を落とす。

 遥は気づかないふりをした。カップを彼に差し出し、自分の分を手に取る。ソファに腰を下ろす──健太から、少し離れた位置に。テーブルを挟んで、二メートルほどの距離。

「浩一さん、明日の朝まで戻らないんですよ。出張の準備で」

 遥の言葉に、健太は小さく頷く。

「そうなんですね。いつもお世話になってます」

 会話はそこで途切れた。コーヒーの湯気が、ゆっくりと立ち上る。部屋に沈黙が広がる。時計の針が、微かな音を立てるだけ。遥はカップを口に運ぶ。熱い液体が喉を通る感触に、息がわずかに詰まる。

 健太の視線が、また首筋に留まる。遥は感じていた。皮膚の表面を、目に見えない糸のように這う視線。白い肌が、じわりと熱を持つ。彼女は視線を逸らさず、テーブルを見つめる。心臓の鼓動が、静かに速まる。

 彼は動かない。膝の上の封筒に指を置き、ただ見つめている。遥の首筋から、ゆっくりと鎖骨へ。シャツの布地が、呼吸に合わせて微かに揺れる。夕暮れの光が、肌の白さを際立たせる。健太の喉が、かすかに動いた。息を飲むような、僅かな動き。

 遥の指が、カップの縁を強く握る。熱い陶器の感触が、手のひらに伝わる。視線が絡む。言葉はない。ただ、沈黙が部屋を満たす。空気が、重く淀む。互いの息づかいが、かすかに聞こえるようになる。

 彼女の首筋が、熱を帯びる。視線に触れられただけで、肌が疼く。内側から、甘いざわめきが広がる。遥は目を伏せない。健太の瞳が、深く、静かに彼女を捉える。距離は変わらない。二メートル。触れられない、ただ見つめ合うだけの距離。

 健太が、ようやく口を開く。

「遥さん、肌が白いですね」

 声は低く、抑揚がない。事実を述べるように。遥の息が、わずかに乱れる。胸の奥で、何かが揺らぐ。返事の代わりに、彼女は小さく微笑む。唇が、微かに湿る。

 沈黙が、再び訪れる。今度は、より濃く。テーブルを挟んだ距離が、言葉なく近づく気配を孕む。健太の指が、封筒の上で止まる。遥の視線が、そこに落ちる。細い指先。静かな部屋で、二人の息が、ゆっくりと混じり合う。

 外はすっかり暗くなっていた。街灯の光が、カーテンの隙間から差し込む。遥の白い首筋に、淡い影が落ちる。健太の視線が、そこに絡みつく。離れない。

 彼女は立ち上がる。カップを片付けようと。背を向けた瞬間、背後に彼の視線を感じる。首筋から、背中へ。シャツの生地越しに、肌が熱く疼く。遥の足が、わずかに止まる。

 振り返らない。キッチンへ向かう。だが、心の奥で、疼きが残る。夫の留守の夜に、訪れたこの男の視線。触れられない距離が、なぜか、甘く締めつける。

 玄関のドアが閉まる音が、静かに響いた。健太が帰ったのを確認し、遥はソファに座り直す。首筋に手を当てる。まだ、熱い。視線の余韻が、肌に残る。

 明日の夜はどうなるのだろう。

(第1話 終わり 約1980字)

※次話へ続く