篠原美琴

上司の視線に震えるメイドOL(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:黒いエプロンドレスに刺さる視線

 オフィスの喧騒が遠のいた平日夕刻、遥は高層マンションの最上階、エレベーターの扉が静かに開く音に息を潜めた。25歳の彼女にとって、この私邸は未知の領域だった。新人OLとして入社して半年、家計の重圧が肩にのしかかり、藁にもすがる思いで引き受けたバイト。主は同じ会社の部長、黒崎氏。血のつながりなどない、ただの上司。平日夕刻の数時間、私邸の掃除と簡単な世話。それだけのはずだった。

 玄関で渡されたのは、黒いエプロンドレス。シンプルなデザインだが、膝上丈のスカートが肌を露わにし、胸元に白いフリルが控えめに揺れる。試着室で鏡に映る自分を、遥は一瞬見つめた。オフィスでは着ない、こんな服。家賃と生活費の数字が脳裏をよぎり、ためらいを飲み込んだ。着替えてリビングへ。広々とした空間は、ガラス窓から沈む夕陽が橙色の光を投げかけ、静寂を湛えていた。

 掃除を始める。まず、棚の埃を払う。柔らかい布が指先に馴染み、ゆっくりと動かす。背筋を伸ばし、埃一つ残さぬよう丁寧に。黒崎部長は出張中のはず、と聞いていた。部屋は無人のはずだった。足音もなく、ただ風がカーテンを微かに揺らすだけ。遥の息が、規則正しく部屋に溶け込む。

 キッチンカウンターへ移る。磨き上げる銀食器が、光を反射してきらめく。指先が滑る感触に集中しようとするのに、なぜか背中がざわつく。視線。感じる。誰かの。振り返る間もなく、それは肌を刺す。首筋から背骨へ、ゆっくりと降りてくるような、重み。息が止まる。布を握る手が、わずかに強張った。

 リビングの中央、大型ソファの前に立って床を拭く。膝を軽く曲げ、四つん這いにならずとも届くよう体を傾ける。黒いスカートが太腿に張り、フリルが影を落とす。埃を拭き取る動作が、なぜか緩慢になる。背後の気配。そこにいる。黒崎部長だった。いつ戻ったのか。スーツ姿で、窓辺に寄りかかり、無言で遥を見つめている。視線が、熱を帯びて肌に触れる。エプロンの布地越しに、胸の膨らみが意識される。息が、浅くなる。

 遥は動かない。拭く手を止めず、ただ背筋を正す。沈黙が部屋を支配する。部長の足音はなく、ただ視線だけが動く。遥の腰のラインをなぞるように、膝裏まで降り、ゆっくりと上がる。肌が、熱を持つ。触れられていないのに、刺すような疼き。オフィスでは見せない、こんな視線。部下として知る部長の目は、いつも冷静で遠いのに、今は違う。獲物を値踏みするような、抑えられた渇望。

 心臓の鼓動が、耳元で鳴る。遥は顔を上げず、床に視線を落とす。黒い布地の裾が、わずかに震える。部長の息遣いが、聞こえる気がする。静かだが、深く、規則正しい。部屋の空気が、重く淀む。夕陽が傾き、影が長く伸びる。遥の指先が、布を強く握りしめる。拭き終えたはずの床に、意味もなく何度も手を這わせる。視線が、背中を離れない。首筋の産毛が、逆立つ。

 ようやく立ち上がる。振り返る勇気はない。カウンターへ戻り、食器を整える。ガラスに映る自分の姿。頰が、僅かに上気している。部長の視線が、鏡越しに追う。沈黙が、息苦しい。言葉はない。ただ、視線と視線が、絡みつくように。遥の喉が、乾く。息が乱れ、吐息が白く曇る。エプロンの紐が、背中で緩く結ばれ、解けそうな錯覚。

 時間が、止まったよう。掃除は終わりのはずなのに、体が動かない。部長の気配が、近づく。足音はしないのに、圧が迫る。遥の肩が、微かに縮こまる。視線が、耳朶を撫でるように落ちる。熱い。触れられない距離で、肌が疼く。オフィスの記憶がよぎる。部長のデスクで報告書を渡す時、指先が触れそうで触れなかったあの瞬間。いつも、こんな距離感。だが今は違う。私邸で、黒いドレスを纏った部下として。

 夕刻の光が、薄れる。部屋にランプの灯りが灯る。遥はようやく息を整え、道具を片付ける。視線が、ようやく逸れた気がした。部長が、静かに動く。書斎のドアが、微かな軋みを上げて開く。

「遥」

 低い声。初めての呼びかけ。オフィス以外で、名前を。遥の体が、びくりと反応する。振り返ると、部長がドア枠に寄りかかり、こちらを見ている。視線が、再び絡みつく。

「書斎に来い」

 言葉はそれだけ。遥の胸が、熱く疼く。頷くのが精一杯。道具を置き、足を踏み出す。廊下の絨毯が、足音を吸い込む。書斎のドアが、静かに閉まる。向こう側で、何が待つのか。沈黙が、遥の全身を震わせた。

(第1話 終わり 約2050字)

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