如月澪

取引先の視線に震える新人OL(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:資料の隙間に潜む視線

オフィスの空気は、いつものように淡く淀んでいた。平日午後の会議室は、窓から差し込む柔らかな光がカーテンを透かし、机上の資料に淡い影を落とす。入社3ヶ月の美咲は、席に着くなり深呼吸を一つ。デスクワークの合間にこうしたミーティングが増え、胸の内で小さな緊張が渦巻くのが常だった。24歳の彼女は、大学を卒業してこの会社に飛び込み、慌ただしい日々に身を委ねていた。同期の先輩たちが軽やかに振る舞う中、自分だけがまだ足元がおぼつかない気がして、時折息を潜める。

今日の議題は、新規プロジェクトの打ち合わせ。取引先の担当者が来社するという。美咲の部署では、彼女がサポート役として資料を準備した。コピー機の前で何度もページをめくり直し、数字の並びを確かめる。完璧でなければ。先輩の視線が気になりながらも、なんとか間に合わせた。

ドアが開く音が響き、皆の視線がそちらへ向く。入ってきたのは、背の高い男性だった。スーツのラインが自然に体躯を包み、ネクタイの結び目がきっちりと締まっている。浩介、という名札。30代半ばだろうか。落ち着いた表情で軽く会釈をし、指定の席に着く。美咲の心臓が、わずかに速まる。取引先の顔ぶれは事前にリストで知っていたが、写真とは違う生の存在感。肩幅の広さ、歩くときの静かな足音。空気が、ほんの少し変わった気がした。

ミーティングが始まる。先輩の部長が進行を切り出し、資料の配布が始まった。美咲は自分の担当分を浩介の前に滑らせる。指先が、資料の端に触れる寸前で止まる。彼の手が同時に伸びてきて、二人の指が空気一枚隔てて重なるか重ならぬか。息が、止まった。浩介の視線が上向き、美咲の目と絡む。落ち着いた、深い瞳。そこに、業務上の冷徹さだけではない何かが宿っているように感じた。わずかな沈黙の後、彼は小さく頷き、「ありがとう」と低く呟く。声は穏やかで、耳に残る響き。

美咲は慌てて席に戻る。頰が、かすかに熱い。部長の説明が続く中、浩介の視線が時折こちらを掠める。資料をめくる指の動き、ペンを走らせる音。すべてが、妙に意識される。隣の同僚がメモを取る音さえ、遠く聞こえる。浩介は真剣に聞き入り、時折質問を挟む。その声が、会議室の空気を震わせる。美咲は自分の役割を果たすのに必死だったが、心のどこかで彼の存在が影のように付きまとう。視線が交錯するたび、胸の奥が淡く疼く。業務だ、これはただの業務。自分に言い聞かせるのに、指先の記憶が蘇る。あの、触れそうで触れなかった感触。

ミーティングは1時間ほどで終了した。浩介は立ち上がり、部長と軽く言葉を交わす。美咲にも視線を向け、「資料、助かりました。また次回」と。短い挨拶に、彼女は「こちらこそ」と返すのが精一杯。ドアが閉まる音が響き、会議室から皆がぞろぞろと出ていく。美咲は机の上を片付けながら、深く息を吐く。日常が、いつも通り戻ってくるはずだった。

午後の業務は淡々と進んだ。メールの返信、パソコンの画面に映る数字の羅列。窓の外は、夕暮れが近づき、街灯が灯り始める。オフィスの喧騒は、遠く聞こえる電話の音やプリンターの唸りで満たされていた。美咲はデスクでコーヒーを啜りながら、資料のフォルダを閉じる。だが、頭の中はあの視線でいっぱいだった。浩介の瞳の奥にあった、静かな熱。指先の距離が、なぜか生々しく蘇る。業務の合間に、ふと手を眺める。触れなかったのに、肌が覚えているような錯覚。

定時が近づき、オフィスから人が減り始める。美咲はカバンをまとめ、エレベーターで1階へ。外は平日特有の静かな通り。街灯が灯り始め、雨上がりの湿った空気が頰を撫でる。歩きながら、今日の出来事を反芻する。あのミーティング、次回はいつだろう。部長から届いたメールをスマホで確認する。次回の打ち合わせは来週、同じ会議室。そして、席次表に目が止まる。浩介の隣が、自分。心臓が、再び速まる。ざわつく胸の内側で、何かが静かに動き出す予感。

帰宅途中の電車で、美咲は窓に映る自分の顔を見つめる。頰が、わずかに上気している。余韻が、胸を疼かせる。日常の延長で生まれた、この淡い熱。次に会う時、何が起こるのだろう。隣席で、彼の息遣いが聞こえる距離。想像するだけで、身体の芯が震える。

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