冬特集芦屋恒一

雪夜に奪う38歳アイドルの体温(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:雪祭りの控室、溶け始める吐息

 冬の夜、雪祭りの会場は白い闇に包まれていた。北海道の山間部、普段は静かなこの土地が、数日間に限り幻想的な光の海と化す。雪像が街灯の淡い橙に照らされ、来場者の吐息が冷気の中で白く舞う。僕は58歳、佐倉健司。この祭りの裏方として、十数年になる。照明の調整、電源の点検、雪の積もりを払う単調な仕事。派手な表舞台とは無縁の、影の役割だ。妻を早くに亡くし、息子も独立した今、こうした季節労働が僕の現実を支えている。責任を果たし、淡々と生きる。それが僕の流儀だ。

 今夜は特別だった。ベテランアイドル、美雪のスペシャルステージが予定されていた。38歳の彼女は、業界では珍しい長寿の存在だ。デビューから二十年近く、洗練された歌声と大人の色気でファンを魅了し続けている。夫は芸能プロデューサーだと聞く。華やかな世界の住人。僕のような地味な男とは、住む次元が違う。

 ステージは午後八時を回った頃から始まった。雪の粒子がスポットライトにきらめいて、美雪の姿を幻想的に浮かび上がらせる。黒いドレスに身を包み、肩から裾まで雪の結晶を模した刺繍が輝く。彼女の声は、冷たい空気を優しく溶かすように響いた。観客は大人中心の平日の夜の客層。酒を片手に静かに聴き入る者たち。祭りの喧騒は控えめで、雪の静寂がそれを包む。

 だが、十時を過ぎた頃、空が急変した。予報を上回る大雪が降り始め、風が唸りを上げた。ステージの照明が揺れ、雪像の表面が白く厚く覆われていく。主催者判断でイベント中断。観客は早々に引き上げ、スタッフも撤収準備に追われる。僕は控室棟の最後尾にある照明室の片付けを任されていた。雪は容赦なく降り積もり、窓ガラスを叩く音が響く。

 控室の扉を開けると、そこに美雪がいた。一人、ソファに腰掛け、スマホを握りしめている。メイクは崩れていないが、頰にわずかな疲れの影。38歳の肌は、照明の下で柔らかく艶めいていた。ドレスの裾から覗く脚線は、細くも熟れた曲線を描く。僕は一瞬、息を飲んだ。こんな至近距離で彼女を見るのは初めてだ。

「すみません、照明の最終確認です。もうすぐ終わります」

 僕は淡々と声をかけ、壁際のスイッチを点検する。彼女は顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。お疲れ様です。こんな大雪、予想外でしたね」

 声はステージのそれより柔らかく、吐息のように温かかった。雪の冷たさが室内に染み込む中、その響きが不思議と心地よい。僕は作業を続けながら、ちらりと視線を向ける。彼女のスマホが鳴らない。夫からの連絡か、何かを待っている様子だ。

「夫から連絡は? 迎えに来るんじゃ……」

 言葉が出た瞬間、後悔した。余計な詮索だ。だが彼女は肩をすくめ、静かに言った。

「雪で道が塞がれてるみたい。連絡、途絶えちゃって。しばらく、ここで待つしかないんです」

 その言葉に、室内の空気がわずかに変わった。外の雪は激しさを増し、窓を白く塗りつぶす。控室の暖房が低い唸りを上げ、二人だけの空間を温める。僕は作業を終え、出口の扉を確認した。すでに雪で塞がれかけている。スタッフは前もって避難し、僕が最後だ。

「この棟、他の人はもう……。雪が深くて、動けないかも」

 事実を伝える。彼女の瞳がわずかに見開かれる。だが、怯えはない。38歳の女の強さだ。アイドルとして、数々のトラブルをくぐり抜けてきたのだろう。彼女は立ち上がり、窓辺に寄った。息がガラスに白く曇る。

「雪景色、綺麗ですね。こんなに降るなんて、久しぶり」

 僕は彼女の隣に立ち、並んで外を眺めた。雪は無音で降り積もり、世界を白く飲み込む。街灯の光がぼんやりと滲み、控室の薄明かりが僕らの影を長く伸ばす。距離は一メートルほど。彼女の香水が、かすかに甘く漂う。雪の冷気とは対照的な、柔らかな匂い。

 目が合ったのは、その瞬間だった。彼女がこちらを振り向いた拍子に、視線が絡んだ。38歳の瞳は、深く澄んでいた。ステージの輝きとは違う、素の色気。夫の不在が、彼女の吐息を少し熱くしているのかもしれない。僕の胸に、静かな疼きが生まれる。58歳の男の欲望。軽率ではない。長年抑え込んできた、肌の奥底でくすぶる熱だ。仕事、責任、年齢差。それらを盾に、僕はいつもそれを封じてきた。

 だが今、雪の壁がそれを許さない。彼女の唇がわずかに開き、吐息が漏れる。白く、温かく。雪の冷たさを溶かすように、室内の空気を甘く染める。僕の指先が、無意識に拳を握る。視線の重さが、距離を縮める。彼女の頰が、ほんのり赤らむ。

「寒くないですか? コート、貸しますよ」

 僕は声を抑え、控えめに提案した。彼女は小さく頷き、微笑む。その笑みが、僕の抑制を試すように甘い。外の雪はさらに激しく、控室の扉を固く閉ざす。二人は、冬の夜に取り残された。

 この雪が、いつ溶けるのか。彼女の体温が、どれほど僕を溶かすのか。静かな疼きが、胸の奥で膨らみ始める。

(第2話へ続く)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━