冬特集緋雨

雪夜のオフィス 上司の吐息(第2話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第2話:雪嵐の湯気と指先の揺らぎ

窓を叩く雪の音が、激しさを増していた。オフィスの外は白い闇に飲み込まれ、街灯の光さえも渦巻く粒子にかき消される。佐藤美咲は窓辺からデスクに戻り、資料の束を整えた。藤原拓也の言葉が、耳に残る。「帰るのは、難しいな」。その低く抑えた響きが、室内の空気をさらに重く沈ませていた。暖房の唸りが、唯一の動きのように感じられた。時計の針は十一時を回り、雪嵐はオフィスを外界から完全に隔てていた。

美咲はキッチンコーナーへ向かった。足音がカーペットに吸い込まれ、静寂を裂かない。棚からコーヒーの粉を取り出し、ポットをセットした。湯が沸く音が、かすかに響いた。彼女の指は、いつものように正確に動いたが、心臓の鼓動がわずかに速くなっていた。首筋の疼きが、残っている。あの視線が、肌に刻まれたように。拓也は窓辺に立ち、動かない。背中が、雪の白さに映える。スーツの肩に、かすかな雪の湿り気が残る。

湯気が立ち上る頃、美咲は二つのマグカップにコーヒーを注いだ。黒い液体が、ゆっくりと表面を覆った。香りがオフィスに広がり、冷えた空気をわずかに溶かす。彼女はトレイにカップを乗せ、拓也の元へ。デスクの端に置き、自分の分を手に取った。「部長、温まってください。まだまだ雪、止みそうにありません」

拓也が振り返る。視線が、まずカップに落ち、次に美咲の顔へ。ゆっくりと、頷く。「ありがとう、佐藤君」。彼は椅子に腰を下ろし、カップを手に取った。湯気が、二人の顔を隔てるヴェールのように立ち上る。美咲は迷わず、隣の椅子に座る。デスクを挟まず、同じ側に。距離が、肩幅二つ分。雪の音が窓を叩き、室内を包むリズムを生む。ゴー、ゴー。外の嵐が、二人の沈黙を強調する。

カップを口に運んだ。熱い液体が喉を滑り、胸の奥を温めた。美咲の息が、わずかに吐き出される。白く、かすむ。拓也の横顔が、近くて見える。顎の線が、ランプの光に影を落とす。目が、湯気の向こうで動く。彼女の唇へ、落ちる。美咲は視線を逸らさず、カップを置く。指先が、デスクの上で止まる。資料の束が、そこに残っている。明日の提出分。雪嵐の夜に、取り残された紙の山。

「この雪、朝まで続くかもな」拓也の声が、低く響く。カップを置き、資料の一枚に目を落とす。指が、紙の端をなぞる。ゆっくりと。美咲の視線が、その動きを追う。息が、胸で詰まる。拓也の指が、次のページへ移る時、手の甲に触れた。彼女のそれに。かすかで、意図的か無意識か。皮膚が、電流のように震える。熱い。冷たい雪の音とは対照的に、内側から湧く熱。

美咲は動かない。手の甲に残る感触を、確かめるように置いたまま。視線が上がる。拓也の目と、交差する。湯気が薄れ、互いの息が見えるほど近い。乱れている。わずかに、速く、深く。「佐藤君、手、冷たいな」。彼の言葉は、静か。指が、再び動く。今度は、意図的に。彼女の手の甲を、覆うように。親指が、軽く押す。脈を感じるように。

心臓が、鳴る。ドクン、ドクン。美咲の首筋が、再び疼く。熱が、鎖骨へ広がる。ニットの襟元が、呼吸に合わせて震える。「部長……」。声が、吐息のように漏れる。抗う言葉ではない。受け入れる響き。外の雪嵐が、激しく窓を叩く。ゴーゴー。音が、二人の距離を詰める。オフィスは、まるで雪の繭の中。暖房の風が、足元を撫で、肌を甘く刺激する。

拓也の指が、離れない。手の甲を、優しく包む。視線が、唇へ落ちる。美咲の唇が、わずかに開く。息が、重なる。コーヒーの香りが混じり、甘く絡みつく。「いつも、君の仕事ぶりに助けられている。この雪でよかった、と言ったら、変か」。会話は、静か。言葉の端に、抑えきれないざわめき。美咲は頷く。指を、わずかに動かす。自ら、重ねるように。「いいえ……私も、部長とこうして、悪くないです」。

沈黙が落ちる。指先の温もりが、内なる疼きを呼び起こす。雪の音が、耳に響く。嵐は止む気配なく、オフィスを閉じ込める。視線が絡み、息が近づく。何かが、ゆっくりと傾く。この夜の、果てしない静けさの中で。拓也の吐息が、耳元に届きそう。美咲の肌が、甘く震える。雪嵐は、二人の熱を、静かに煽っていた。

(第2話 終わり 第3話へ続く)