緋雨

ジムの視線に絡まる汗(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:汗に絡む視線

 平日の夜のジムは、静けさに満ちていた。街灯の淡い光が窓ガラスに反射し、室内の空気を鈍く照らす。マシンの微かな軋みと、息づかいだけが響く。美咲は二十八歳。毎週この時間に訪れるのが習慣だ。黒いレギンスが汗で肌に張りつき、肩を落としてトレッドミルを踏む。心拍数が上がるたび、首筋の滴が鎖骨を滑り落ちる。

 誰もいないはずのフロアの隅で、視線を感じた。鏡越しに、拓也が立っていた。三十二歳のトレーナー。黒いタンクトップの下、鍛えられた腕が静かに組まれている。彼の目は、いつものように穏やかで、しかし鋭く美咲を捉えていた。初めは指導の目だったはずだ。数ヶ月前、美咲がフォームを崩したのを直してくれた。あれ以来、この視線が絡みつくようになった。

 美咲は速度を上げた。汗が額を伝い、視界をぼやけさせる。息が浅く、熱く吐き出される。鏡の中、拓也の姿が近づいてくる。足音はほとんどない。まるで影のように。

「美咲さん。今日も遅くまで。」

 低い声が、耳元で響いた。美咲はトレッドミルを止めず、頷くだけ。言葉は出ない。汗の匂いが混じり、互いの息がわずかに重なる距離。拓也の視線が、彼女の肩から腕へ、ゆっくりと這う。指導の名目で触れた手が、脳裏に蘇る。あの感触は、温かく、抑えられた力強さがあった。

「肩が固い。ラットプルダウン、やってみますか。」

 彼の提案に、美咲はマシンを降りる。汗で濡れた手がバーを握る。拓也が後ろに立ち、腰に軽く手を添える。息が、首筋にかかる。熱い。美咲の鼓動が、速くなる。視線を合わせない。鏡に映る二人の姿が、静かに重なる。

 セットを終え、美咲が息を整える。拓也の目が、汗ばむ胸元を一瞬、留まる。すぐに逸らすが、その余韻が空気を張りつめさせる。沈黙が、甘く疼く。

「最近、凝りがきついんですか。」

 拓也の声は、静かだ。美咲はタオルで首を拭きながら、頷く。「ええ、少し。」本当は、毎晩のデスクワークのせいだ。でも今は、そんな日常が遠い。

「マッサージ、予約しませんか。個室で、じっくり。」

 言葉が、ゆっくりと染み込む。個室。オイルの滑り、指先の圧。想像が、肌を震わせる。美咲の息が、わずかに乱れる。拓也の視線が、唇に落ちる。抑えられた、熱い視線。

「明日の夜、空いてますよ。」

 彼がスマホを差し出す。予約画面。美咲の手が、震えながらタップする。指先が触れそうで、触れない距離。空気が、密やかに迫る。

 ジムの時計が、静かに時を刻む。汗の滴が、美咲の肌を伝う。拓也の視線が、絡みつくように、離れない。予約の確認音が、二人だけの沈黙を破る。

 明日の個室で、何が起こるのか。息の熱が、予感を運ぶ。

(第2話へ続く)