如月澪

背後に忍び寄る長い髪の癒し(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:肩に落ちる長い髪の香り

 平日の夕暮れ、拓也はいつものようにマンションのエレベーターに乗り込んだ。28歳のサラリーマン生活も、もう5年目になる。デスクワークの連続で、肩は石のように凝り固まっていた。首を回すたび、鈍い痛みが走る。今日は残業を早めに切り上げ、帰宅するなりビールを一本空けたが、疲れは一向に解消しない。

 エレベーターの扉が開くと、同じ階の廊下に柔らかな灯りが差し込んでいた。向かいの部屋から出てきたのは、遥だった。25歳の彼女は、このマンションに引っ越してきて半年ほどになる。黒く長い髪を背中で揺らし、穏やかな笑みを浮かべる姿が印象的だ。エステティシャンとして働いていると、以前エレベーターで少し話したことがある。癒し系の柔らかな物腰が、拓也の記憶に残っていた。

「こんばんは、拓也さん。お疲れ様です」

 遥の声は、かすかに甘い響きを帯びていた。彼女は買い物袋を片手に、軽く会釈する。長い髪が肩から滑り落ち、廊下の空気に淡いシャンプーの香りを漂わせた。拓也は思わず肩をさすりながら、苦笑した。

「こんばんは、遥さん。いやあ、今日は肩がもう限界で……。仕事が詰まってさ」

 自然と会話が弾む。マンションの住人同士、顔見知り程度の距離感が心地よい。遥の視線は優しく、拓也の肩に注がれる。

「肩、随分凝ってますね。エステの仕事をしてるんですけど、よかったら少し揉みましょうか? ここで立ったままでも、楽になりますよ」

 彼女の提案は、さりげなかった。拒否する理由もない。拓也は頷き、廊下の壁に手をついて背を向けた。遥は買い物袋を床に置き、そっと近づいてくる。背後に彼女の気配が忍び寄るのがわかった。細い指先が、シャツの上から肩に触れた瞬間、拓也の体はわずかに震えた。

 柔らかな圧力が、凝り固まった筋肉に染み込んでいく。遥の手つきはプロフェッショナルだ。親指で肩甲骨の辺りを円を描くように押し、ゆっくりと解していく。痛みではなく、心地よい温もりが広がる。彼女の息づかいが、背中越しに微かに伝わってきた。長い髪が、拓也の首筋に軽く触れる。シャンプーの香り――フローラルで、かすかに甘酸っぱいそれが、鼻腔をくすぐった。

「ここ、かなり張ってますね。デスクワークの人は皆こうなんです。深呼吸して、リラックスしてください」

 遥の声は耳元で囁くように優しい。拓也は目を閉じ、肩の力が抜けていくのを感じた。日常の疲れが、こんなさりげない触れ合いで溶けていくなんて。彼女の指が首筋へ滑り、鎖骨の辺りを優しく撫でる。服の上からなのに、肌の熱がじんわりと伝わる。長い髪が再び落ち、背中に広がる感触。シルクのような滑らかさで、拓也の心を静かに掻き乱した。

 揉みほぐされるうちに、二人は他愛ない会話を交わす。遥の仕事のこと、拓也の最近の忙しさ。彼女の声は穏やかで、聞いているだけで肩の重荷が軽くなるようだ。25歳の遥は、独り暮らしの寂しさを微かに滲ませながらも、笑顔を絶やさない。癒し系、という言葉がぴったりだった。

「遥さん、手が温かくて気持ちいいよ。本当にありがとう。プロだなあ」

 拓也が振り返ろうとすると、彼女は小さく笑った。

「どういたしまして。でも、廊下じゃ限界がありますよね。よかったら、今度私の部屋でちゃんとマッサージさせてください。オイル使って、もっと深くほぐせますよ」

 その言葉に、拓也の胸がわずかに高鳴った。遥の瞳は柔らかく、長い髪が頰を優しく撫でるように揺れている。背中越しに感じた温もり、香り、そしてこの視線。日常の延長線上で生まれた、淡い疼き。マンションの廊下というありふれた場所で、こんなにも心が溶けそうになるなんて。

「本気? じゃあ、ぜひお願いします。いつがいいかな」

 遥は頷き、長い髪を耳にかける仕草を見せた。指先がまだ拓也の肩に残る感触を、二人とも意識していた。

「明日、仕事終わりにどうですか? 私の部屋、すぐ向かいですから」

 約束の言葉が、静かな廊下に溶け込んだ。拓也は遥の優しい視線に引き込まれ、頷くしかなかった。肩の凝りは少し和らいだが、心の中には新しい熱が、じわりと灯り始めていた。

(第2話へ続く)