三条由真

視線の綱引きに溺れる夜(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:残業のオフィス、妖艶な視線の罠

オフィスの窓辺に、夜の闇がゆっくりと染み込んでいた。平日、終電間近の時間帯。街灯の淡い光がガラスに反射し、室内をぼんやりと照らす中、拓也はデスクに座ったまま、モニターの文字を睨んでいた。32歳のサラリーマン、プロジェクトリーダーとして部下を束ねる立場だというのに、今夜も残業の波に飲み込まれている。

周囲は静かだった。最後の同僚が帰宅し、エレベーターの扉が閉まる音が遠くに響いた後、残ったのは拓也と上司の美咲だけ。28歳の彼女は、営業部のエースとして社内でも一目置かれる存在だ。黒いタイトスカートが長い脚を強調し、ブラウスから覗く鎖骨のラインが、洗練された大人の色気を放つ。ただの職場の上司。だが、最近の彼女の視線が、拓也の心を妙にざわつかせていた。

「拓也くん、まだ終わらないの?」

美咲の声が、背後から柔らかく響いた。振り返ると、彼女はデスクに腰を預け、こちらを見下ろしていた。唇に薄い笑みを浮かべ、瞳がわずかに細められている。その視線は、ただの業務確認ではない。獲物を値踏みするような、甘く鋭い輝きを帯びていた。

「あと少しです。美咲さんこそ、帰ってもいいのに……」

拓也は言葉を返しながら、視線を逸らした。心臓の鼓動が少し速くなるのを感じる。M気質の自分は、こんな視線に弱い。彼女の存在が、空気を重く変える。美咲はくすりと笑い、デスクに近づいてきた。ハイヒールの足音がカーペットに沈み、かすかな香水の匂いが漂う。

「私も残業よ。一緒に終わらせましょう。あなた、最近集中力が散漫ね。何か、気になってること?」

彼女の言葉は、囁きに近い。拓也の肩越しにモニターを覗き込み、息が耳元にかかる。距離が近い。ブラウス越しに感じる体温が、肌を震わせる。拓也はキーボードに指を置きながら、喉を鳴らした。彼女の視線が、首筋を這うように感じる。主導権を握ろうとする圧力。だが、それが心地よい疼きを生む。

「いえ、そんなこと……ないです。ただ、疲れてるだけかと」

嘘だった。美咲の視線が、職場で拓也を翻弄し始めたのは一週間前から。ミーティング中、ふと交わされる眼差し。廊下で擦れ違う時の、唇の端の微笑み。それらが積み重なり、拓也の胸をざわつかせていた。彼女は知っているのか? この微かな心理の綱引きを。どちらが先に折れるのか、試しているような視線。

美咲はさらに身を寄せ、拓也の隣の椅子に腰掛けた。膝が軽く触れ合う。オフィスの空気が、急に密になる。彼女の指が、モニターの端をなぞる仕草。無意識か、意図的か。拓也の視界に、彼女の横顔が入る。長い睫毛が影を落とし、赤い唇がわずかに湿っている。

「ここ、修正が必要ね。見てて」

美咲の指がマウスを握り、画面を操作する。その間、彼女の視線が拓也の横顔を捉える。熱い。逃げられない。拓也は息を潜め、彼女の動きに目を奪われる。指先の細さ、白い肌。心の中で、抵抗が芽生える。負けたくない。この綱引きで、彼女に主導権を渡したくない。

だが、美咲の息が、再び耳に触れる。

「あなた、こんな時でも我慢強いわね。ドキドキしてるの、わかるわよ」

囁きが、心の奥を突く。拓也の体が、びくりと反応した。彼女の瞳に、笑みが深まる。主導権が、彼女に傾く瞬間。空気が凍りつく。オフィスの時計の秒針が、ゆっくり進む音だけが響く。沈黙が、甘い圧力を生む。

拓也は意を決し、視線を返した。彼女の瞳を真正面から見据える。M心が疼くが、ここで引けば終わりだ。互いの視線が絡み合う。心理の綱引き。どちらが先に目を逸らすか。美咲の唇が、わずかに開く。息が混じり合う距離。

「美咲さん……」

拓也の声が、低く震える。彼女の指が、拓也の膝に触れた。軽く、探るように。熱が伝わる。オフィスの夜が、二人の緊張を濃くする。視線が深く交錯し、空気が溶け始める。甘い震えが、肌を駆け巡る。

美咲の顔が、ゆっくり近づく。唇が触れ合う寸前。拓也の心臓が激しく鳴る。彼女の瞳に、妖艶な光。主導権を試す、究極の瞬間。

だが、彼女はそこで止まった。唇の端に、微笑を浮かべる。

「ふふ、次は君の番よ」

その言葉が、拓也の胸に甘く刺さる。視線が離れ、彼女は優雅に立ち上がった。オフィスの空気が、再び静かに流れる。だが、心の熱は残る。次に、何が起こるのか。拓也の視線が、彼女の後ろ姿を追う。夜の闇が、二人の綱引きを予感させる。

(第2話へ続く)

(文字数:約1980字)