芦屋恒一

ジム隣人のアナウンサー熱視線(第2話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第2話:湿ったタオル、絡む視線

 翌日の平日夜、再びジムに足を運んだ。外は雨がぱらつき、街灯の光が濡れたアスファルトに滲む。仕事の疲れを背負い、いつものルーチンでトレッドミルを起動させる。機械の振動が体に染み、息が徐々に深くなる。58歳のこの体は、毎日の積み重ねでしか保てない。妻との会話は淡々と、子供たちの消息は時折の連絡で済む。すべてが安定した日常だ。だが、昨夜の壁越しの囁きが、胸の奥に小さな棘のように残っていた。あの柔らかな声。私の視線を、ぼんやりと意識している気配。軽率に動く気はない。ただ、状況が自然に動くのを、静かに見守る。

 視界の端に、馴染みのシルエット。佐倉美咲だった。35歳の彼女は、昨日と同じ黒のスポーツウェア。ポニーテールが軽く揺れ、すでに汗で湿ったタオルを首に巻いている。隣のトレッドミルに滑り込み、すぐにペースを上げる。イヤホンから微かな音楽が漏れ、集中した横顔が照明に浮かぶ。ニューススタジオの端正さとは違う、汗に濡れた生々しい魅力。首筋の汗が一筋、ウェアの襟元へ滑り落ちる。私は視線を前方に戻すが、心臓の鼓動がわずかに速まる。この距離で、互いの息づかいが混ざる。昨日より、輪郭が鮮明だ。

 10分ほど経ち、彼女がこちらを振り返る。目が合う。微笑みが、汗ばんだ唇に浮かぶ。

「こんばんは。また会いましたね。昨日のお話、嬉しかったです」

 声は低く、親しげ。ニュースの抑揚とは違う、ジムの湿った空気に溶ける響き。私はペースを保ちながら、軽く頷く。

「こんばんは。君のフォーム、今日も安定しているな。腰の回転が滑らかだ」

 自然に言葉が出る。彼女のトレーニングを、昨日から観察していた。プロのアナウンサーらしい、細やかな動き。彼女は目を細め、タオルで額を拭う。湿った布が肌に張り付き、鎖骨のラインを強調する。

「ありがとうございます。あなたこそ、58歳とは思えない持久力。肩の使い方、参考になります。私、最近フォームが崩れがちで……」

 会話が、機械の音に紛れながら弾む。年齢差を挟む言葉が、互いの距離を測るように自然に出る。23歳の差。数字はただの事実だが、この場で共有すると、空気が親密に変わる。彼女はトレッドミルを止めず、こちらの動きを観察する。

「部長さんのように、ストイックに続けたいんです。仕事が忙しくて、夜しか時間がないんですけど……あなたは、いつもこの時間?」

「そうだな。平日夜が定位置だ。君もか。マンションの隣室同士、ジムまで同じとは、縁があるな」

 軽い冗談めかして返す。彼女の笑い声が、短く響く。汗の粒が飛び、照明にきらめく。年齢差を感じさせぬ親しげな空気。部下との会話のように、肩肘張らず。だが、視線の奥に、探るような熱がある。私の喉が、思わず鳴る。彼女のウェアが湿って、肌の色を淡く透かす。胸の膨らみの輪郭、腰のくびれ。汗の匂いが、微かに漂う。抑制する。言葉より、視線で受け止める。

 トレーニングを進めながら、会話は途切れ途切れに続く。彼女の仕事話。ニュースの裏側、原稿のプレッシャー。私の部長生活、数字の重み。互いの孤独が、汗と共に零れ落ちる。

「アナウンサーって、外からは華やかに見えますけど、実は……夜遅くまで原稿読み込んで、体力勝負なんです。ジムが、唯一の息抜き」

「わかるよ。私も、支店を回すのに、毎日数字と睨めっこ。58歳ともなると、若い頃の勢いはないが、経験でカバーするさ」

 彼女の眼差しが、柔らかく絡む。褒め合う言葉が、互いの体を意識させる。彼女の脚の筋肉が、レギンス越しに張る。私の腕の血管が、浮き出る。親しげな空気の中、喉の奥が熱を持つ。湿ったタオルを握る彼女の手。指先の細やかさ。視線が、わずかに長くなる。

 45分後、彼女が先に止める。タオルを首に巻き直し、水筒を傾ける。喉がごくりと動く様子に、再び息を飲む。ウェアは汗で体に密着し、肌の曲線を惜しみなく描く。彼女はこちらを向き、微笑む。

「今日は、フォームのアドバイス、ありがとうございました。次も、よろしく」

「こちらこそ。君の集中力、刺激になるよ」

 ロッカールームへ向かう彼女の後ろ姿。腰の揺れが、雨音に溶ける。シャワーの蒸気が立ち上る中、私はゆっくり体を拭く。汗の記憶が、体に残る。

 マンションに戻る頃、雨は本降り。エレベーターで、再び顔を合わせる。彼女は髪をタオルで拭き、ゆったりしたパーカー姿。香水とシャンプーの混ざった匂いが、狭い空間を満たす。扉が閉まり、静寂が訪れる。

「お疲れ様でした。雨、ひどいですね」

「ええ。君も、無事帰宅か」

 短い言葉。だが、視線が絡む。彼女の瞳が、照明の反射で深く輝く。昨日より長い、探るような熱。肩がわずかに近づき、空気が重くなる。私の手が、無意識に拳を握る。抑制の糸が、微かに緩む。彼女の唇が、わずかに開く。息が、甘く混ざる。

 それぞれの階で、扉が開く。別れ際、彼女の視線が背中に刺さる。長く、熱く。廊下の足音が遠ざかり、自室の扉を閉める。壁に寄りかかり、息を吐く。夜の静寂に、雨音が響く。隣室の気配が、鮮明に感じられる。期待が、静かに募る。明日のジムで、またあの視線が待っているだろうか。この疼きが、自然に熟すのを待つしかない。

(第3話へ続く)