久我涼一

人妻の視線が夫を裏切る(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:同僚宅の夕暮れに芽生える視線

 平日の夕暮れ、街灯がぼんやりと灯り始める頃、私は同僚の田中健一の家を訪れた。42歳の私、佐藤浩二は、会社で遅くまでかかったプロジェクトの資料を渡すためだ。健一は私より少し若い、38歳。独身時代からの付き合いで、互いに家庭を持ちながらも、仕事の愚痴を言い合う間柄だった。彼の家は、都心から少し離れた静かな住宅街にあり、平日ともなれば人影もまばらで、ただ風が木の葉を揺らす音だけが響く。

 玄関のチャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いた。出てきたのは健一ではなく、妻の美咲だった。35歳の人妻。初めて会う彼女は、淡いグレーのニットに細身のパンツ姿で、肩まで伸びた黒髪を軽くまとめていた。穏やかな笑みを浮かべ、柔らかな声で迎え入れてくれる。

「佐藤さんですか? お待ちしてました。健一が今、シャワーを浴びてて……。どうぞ、中へ」

 彼女の視線が、私の顔を一瞬、素早く捉えた。普通の挨拶のはずなのに、その瞳に微かな熱が宿っているように感じた。私は軽く会釈し、靴を脱いで上がり込む。リビングはこぢんまりとして、落ち着いた照明が暖かな空気を湛えていた。ソファの横に資料の入ったファイルを置き、勧められるままに座る。

 美咲はキッチンカウンターからグラスに水を注ぎ、運んできてくれた。細い指がグラスを握る仕草が、妙に優雅で、私の目を引きつける。彼女は私の向かいに腰を下ろし、穏やかに言葉を交わす。

「健一から聞いていますよ。いつも遅くまでお仕事、大変そうですね。私なんか、健一の帰りを待つだけで精一杯ですけど」

 笑いながら言う彼女の唇が、かすかに湿り気を帯びて光った。健一の妻として、ありふれた世間話。だが、その視線が私の顔を、首筋を、ゆっくりと這うように移る。夫の前でこんな視線を交わすなど、普通はないはずだ。私は資料を広げながら、平静を装って応じる。

「いや、健一も相当頑張ってるよ。俺なんか、家庭の支えがないとやってられないさ」

 その言葉に、美咲の瞳がわずかに細められた。まるで、私の「家庭」という言葉に、何かを感じ取ったかのように。彼女はグラスを口に運び、喉を潤す。首筋のライン、ニットの襟元から覗く肌が、夕暮れの光に淡く照らされる。私は視線を逸らさず、彼女の仕草を追ってしまう。ありふれた動作のはずが、胸の奥でざわめきが生まれる。責任ある立場にある大人同士、互いの家庭を背負いながら、こんな視線を交わすとは。

 そこへ、健一がタオルで髪を拭きながらリビングに入ってきた。いつものくたびれたTシャツ姿で、気さくに笑う。

「お、浩二。悪いな、待たせちまって。シャワー浴びてスッキリしたよ。資料、ありがとな」

 健一がソファにどっかりと座り、ビールを一本開ける。私たちは仕事の話に花を咲かせる。美咲は静かに立ち上がり、台所で軽い夕食の準備を始める。健一の声が響く中、私は時折、彼女の背中を目で追う。エプロンを軽く巻いた腰のライン、髪を耳にかける仕草。彼女も、こちらを振り返るたび、視線が絡みつく。夫のすぐ傍で、こんな熱を孕んだ視線を。背徳の予感が、ゆっくりと胸を締めつける。

 健一がビールを飲み干し、「ちょっとトイレ」と席を外した。リビングに残されたのは、私と美咲だけ。空気が、急に重く甘くなる。彼女はカウンターに寄りかかり、こちらを見つめてくる。唇を軽く噛み、声を潜めて。

「佐藤さん……いつも健一の話、聞かせてくれてありがとうございます。私、夫の仕事のこと、もっと知りたくて」

 その言葉の裏に、別の意味が潜んでいる。彼女の瞳が、私の唇を、胸元を、熱く舐めるように這う。私は立ち上がり、資料を片付けながら近づく。指先が、カウンターの上でわずかに触れ合う。電流のような震えが走る。

「美咲さんこそ、健一を支えてくれてるんだ。羨ましいよ」

 私の声が、少し低くなる。彼女の吐息が、かすかに熱を帯びる。二人の距離は、夫が戻るまでの僅かな時間。だが、その短さに、互いの渇望が凝縮される。彼女の指が、私の手に触れたまま離れない。視線が絡みつき、言葉にならない緊張が部屋を満たす。

 健一の足音が聞こえ、彼女は素早く手を引き、カウンターに戻る。私はソファに座り直し、平静を装う。だが、心臓の鼓動は収まらない。健一が戻ってきて、いつもの調子で話しかけてくる中、美咲の視線が、再び私を捕らえる。あの熱は、消えていない。むしろ、夫の前でこそ、甘く疼く。

 資料を渡し、帰宅の挨拶をする頃、外はすっかり暗くなっていた。私は玄関で振り返り、美咲に視線を送る。彼女の微笑みが、約束のように見えた。この視線が、次なる接触を予感させる。日常の仮面の下で、抑えきれない衝動が、ゆっくりと膨らみ始めていた。

(第1話 終わり)

(約1980字)