この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。
## 第2話:肩に落ちる吐息
オフィスの照明が、徐々に薄暗さを増していた。時計の針は午後七時を回り、周囲のデスクはすっかり空っぽだ。残っていた同僚たちも、次々と帰宅の途についた。エレベーターの扉が閉まる音が、遠くに響くだけ。美咲はモニターの光に目を細め、遥の残した資料を広げていた。心臓の鼓動が、まだ少し速い。残業の誘いに、迷いながらも頷いてしまった瞬間から、胸のざわめきが収まらない。
「美咲さん、こっちの資料も一緒に確認しましょう」
遥の声が、すぐそばで響く。彼女は美咲のデスクに寄りかかり、紙束を指でなぞっていた。ブラウス越しに、細い腕のラインが浮かび上がる。オフィスの空調が、低く唸る音を立て、静寂を強調する。窓の外はすっかり夜。街灯の光が、ガラスに淡く反射している。二人きりのフロアは、日常の延長線上で、ただ少しだけ息苦しい。
美咲は頷き、椅子を少し引いてスペースを作った。遥が自然に隣に座る。膝が触れそうなくらいの距離。業務報告書の数字を、二人で睨む。遥の指が紙の上を滑り、修正点を指摘する。その動きは、第1話の時と同じく、流れるように優雅だ。美咲は集中しようと努めるのに、視線が遥の手に吸い寄せられる。あの指先の温もりが、未だに肌に残っているようで。
「ここ、合計がずれているわ。見てごらん」
遥が体を寄せ、美咲の肩にそっと手を置いた。軽く、業務指導の自然な仕草で。だが、その掌の重みが、じんわりと伝わってくる。温かく、柔らかな圧力。美咲の肩が、ぴくりと反応する。息が止まりそうになる。遥の香水が、再び鼻先をくすぐる。かすかなフローラルの香りで、甘く、夜のオフィスに溶け込む。
「え……あ、はい」
美咲の声が、上ずる。遥の手は離れず、肩を軽く押すようにして画面を指す。耳元で、息が感じられる。吐息が、髪の毛を優しく揺らす。業務指導と称して、遥の唇が近づく。声は低く、囁くように。
「数字をここに揃えて。ゆっくりでいいのよ……そう、上手よ」
耳朶に、温かな息が触れる。美咲の肌が、熱くなる。頰から首筋へ、じわじわと火照りが広がる。キーボードを叩く指が、わずかに震える。遥の視線が、横顔を捉えているのがわかる。深い瞳が、静かに美咲の反応を追う。拒む言葉が出てこない。むしろ、この近さが、心地よい疼きを呼び起こす。
遥の手が、肩から少し滑る。鎖骨の辺りを、指先でなぞるように。意図的か、無意識か。業務の合間に、そんな触れ合いが続く。美咲の息が、浅くなる。互いの体温が、ブラウス越しに伝わり合う。オフィスの空気が、重たく、濃密に変わっていく。デスクの上の資料が、ぼんやりと霞む。
「美咲さん、顔が赤いわ。疲れた?」
遥の囁きが、再び耳元で。唇が、ほとんど触れそうな距離。美咲は目を伏せ、首を振る。心臓の音が、自分にしか聞こえないほど大きい。拒めない。この視線に、掌の温もりに、囚われている。淡いざわめきが、胸の奥で膨らむ。日常の残業のはずなのに、こんなに肌が敏感になるなんて。
「いえ……大丈夫です。先輩こそ、遅くまで」
美咲の言葉に、遥が小さく笑う。肩に置かれた手が、優しく揉むように動く。緊張を解す仕草か、それとも。指が、首筋に落ちる。軽く、撫でる。美咲の体が、びくりと震える。熱が、下腹部まで降りてくる。視線を上げると、遥の瞳がすぐそこに。絡みつくように、深く。
「二人でいると、時間が経つのが早いわね」
遥の声は、ますます低くなる。唇が、ゆっくり近づく。美咲の唇に、触れる寸前で止まる。息が混じり合う。甘い疼きが、美咲を包む。拒否の言葉は、喉の奥で溶けて消える。ただ、遥の視線に、応えたい衝動が芽生える。オフィスの静寂が、二人の吐息を際立たせる。時計の針が、ゆっくり進む。
遥の指が、美咲の手に落ち、重なる。今度は、明らかに意図的に。掌同士が、ぴたりと密着する。体温が、脈打つように伝わる。美咲の指が、無意識に絡む。遥の唇が、わずかに開く。キスを予感させる、柔らかな動き。
美咲の胸が、高鳴る。このまま、流されてしまいたい。残業の夜が、静かに深まろうとしていた。
(つづく)