芦屋恒一

クール上司の疼く視線の果て(第2話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第2話:触れ合う指先の残響

 彼女の瞳が、ゆっくりと俺に向く。その視線に、抑えきれない熱が宿っていた。唇が、かすかに開き、次なる言葉を待つように──。

 「手伝い、ね……」

 佐倉部長の声は、低く掠れていた。普段のクールな響きに、微かな揺らぎが混じる。彼女はデスクの縁に腰を預け、俺をまっすぐ見据える。部屋の空調が、静かな風を運び、窓外のネオンがガラスに淡く反射する。二十二時を過ぎたオフィスは、二人だけの世界だ。外の街路は平日夜の静けさに包まれ、遠くで車のエンジン音が途切れ途切れに聞こえるだけ。

 俺は一歩近づき、言葉を続ける。「資料の整理とか、もしよければ……。部長も疲れておられるようですし」

 彼女は小さく息を吐き、視線を落とした。細い指が、デスク上の書類を無意識に撫でる。「ありがとう。でも、もう少しで終わるわ。あなたこそ、異動初日から遅くまで……。家庭持ちじゃないの?」

 その質問に、俺は軽く首を振った。「いえ、独身です。仕事が生きがいみたいなものですよ」本当は、三十五歳の今、仕事以外の空白が心に影を落とす日々だ。彼女の言葉が、意外に個人的で、胸に刺さる。

 部長はふと、微笑みの端に近い僅かな唇の緩みを浮かべた。「私もよ。二十年近く、この会社一筋。結婚? 昔、一度は考えたけど……結局、仕事を選んだの。キャリアウーマンなんて、便利な仮面よね。誰も近づかないし、近づかせない」

 彼女の告白は、静かな夜のオフィスに溶け込むように零れ落ちた。クールな仮面の下に、孤独の渇望が覗く。四十八歳の女性が、キャリアの頂に立ちながら抱える重み。夫も子もいない人生の選択──それは、血縁の絆のない、ただの自己責任の果てだ。俺は黙って聞き、視線を彼女の横顔に注ぐ。長い黒髪が、室内灯の柔らかな光沢を帯びて肩に落ちる。

 「部長、そんな風に思っておられたんですね……。でも、強いです。僕なんか、まだまだです」俺の言葉に、彼女はゆっくり顔を上げた。瞳が、俺の視線を捉える。仕事の合間から続く、あの絡みつくような視線。今、互いに気づいている。彼女の頰が、ほのかに熱を帯び、クールな肌に薄い紅が差す。空気が、わずかに重くなる。

 「強い、なんて……。ただ、諦めただけよ。渇望なんて、歳を重ねると疼きを増すものね」彼女の声が、吐息のように細くなる。俺は喉を鳴らし、近くの書類スタンドに手を伸ばした。企画書の最終版をまとめ、彼女に差し出す。「これ、確認をお願いします。数字の裏付け、固めました」

 書類を渡す瞬間、手の甲が触れ合った。彼女の指先が、俺の肌に軽く滑る。電流のような震えが、背筋を駆け上がる。温かく、柔らかな感触──四十代後半の女性の指は、意外にしなやかで、微かな湿り気を帯びていた。俺は息を呑み、視線を上げると、彼女もまた、動かずにいた。瞳が揺れ、唇がわずかに震える。クールな仮面が、僅かに綻びる。

 「山崎君……あなたの視線、気づいていたわ。初日から」彼女の言葉が、静かに響く。頰の紅潮が、深まる。俺は慌てて手を引こうとしたが、彼女の指が、わずかに絡みつくように留まる。「慌てないで。……このオフィスで、こんなに近くにいるのも、久しぶり」

 沈黙が、再び訪れる。だが今度は、甘く熟れた重みがある。彼女の香水が、鼻腔をくすぐる。ウッディな甘さに、女性の体温が混じる。俺の心臓が、速く脈打つ。三十五歳の俺と、四十八歳の彼女──年齢差が、かえってこの緊張を濃くする。抑制された欲望が、静かに積み上がる。軽率な行動など取らない。ただ、互いの視線が、肌を甘く疼かせる。

 彼女はゆっくり手を離し、書類に目を落とした。だが、指先の震えが、ページをめくる動作に表れる。「悪くない……いいわ。これで、十分」声が、少し上ずる。立ち上がり、俺の肩に軽く手を置く。温もりが、シャツ越しに伝わる。「あなたのおかげね。もう少し……この時間を、味わっていたい」

 「もう少し……?」俺は無意識に繰り返す。彼女の瞳が、再び俺を捉える。クールビューティーの仮面の下で、渇望の炎が静かに灯る。部屋の空気が、熟れゆく果実のように甘く、重く淀む。窓外の夜景が、ぼんやりと揺らめく中、彼女の吐息が、俺の耳元に近づく。

 その瞬間、俺たちは互いの熱に気づき、言葉を超えた合意の予感が、静かに芽生えていた──。

(第3話へ続く)