神崎結維

女医の境界に絡むナンパの熱(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:夜街の白衣に誘われる視線

 雨上がりの夜の街は、濡れたアスファルトが街灯の光を淡く反射し、静かなざわめきを湛えていた。平日、午後十時を過ぎた頃合い。俺は28歳のサラリーマン、仕事の疲れを紛らわせるように、いつものように路地を歩いていた。ネクタイを緩め、煙草の煙を吐き出す。心にぽっかり空いた隙間を、酒か何かで埋めようという、いつもの気まぐれだ。

 そんな中、ふと視界に彼女が入った。細身のシルエットが、街灯の下で揺れている。黒いコートを羽織った美しい女性、25歳くらいだろうか。長い黒髪が肩に落ち、疲れたような、それでいて凛とした横顔。仕事帰りらしく、白衣の襟元がコートの隙間から覗いていた。女医か何かか。俺の足は、自然とその方向へ向かう。

「すみません、ちょっと道を聞きたいんですけど」

 声をかけたのは、衝動だった。彼女は足を止め、ゆっくり振り向く。怜、という名札が白衣に光る。怜奈? いや、怜、とだけ読めた。瞳は深い焦げ茶色で、街灯の光を映して微かに揺れる。

「ええ、どうぞ」

 声は柔らかく、低い。疲労が滲むのに、どこかプロフェッショナルな響き。俺は適当な道順を尋ねながら、彼女の顔をまじまじと見つめた。細い鼻梁、薄く引き結ばれた唇。完璧な美人だ。いや、美しい、という言葉が足りない。境界線のような、つかみどころのない魅力。

「実は、道じゃなくて……お酒でも飲みませんか? この辺にいいバーがあるんです」

 ナンパなんて、久しぶりだ。彼女は一瞬、目を細めた。警戒か、興味か。境界が揺らぐ瞬間。だが、意外にも小さく頷く。

「そうね……少しなら」

 怜の言葉に、俺の胸がざわついた。彼女の後ろ姿を追い、路地の奥のバーへ。店内は薄暗く、ジャズのメロディが低く流れ、カウンターに数人の大人が酒を傾けている。平日夜の、静かな大人の空間。俺たちは端の席に座り、ウィスキーを注文した。

 グラスが触れ合う音。彼女の指先が、白衣の袖口から覗く。細く、白い。俺は自分のグラスを傾けながら、視線を絡めた。

「仕事帰りですか? 白衣の匂いがふんわり漂う」

 俺の言葉に、怜はグラスを口に運び、微笑む。微笑みか、それとも嘲りか。境界が曖昧だ。

「ええ、病院から。長かったわ。あなたは?」

「ただのサラリーマン。28歳、名前は拓也。君は?」

「怜、25歳。女医よ」

 怜。短く、響く名前。彼女の声に、微かな酒の熱が混じる。話は自然に弾んだ。俺の退屈な日常、彼女の病院の夜勤。患者の話はぼかされ、孤独が滲む。互いの視線が、グラスの縁越しに絡みつく。彼女の瞳に、街灯のような光が宿る。

 ふと、カウンターで肘が触れた。怜の腕の柔らかさ。白衣の下の肌の温もりか。俺の指先が、無意識に彼女の手に重なる。微かな触れ合い。電流のような震えが、肌を駆け巡る。

「あ……」

 怜の吐息が、漏れる。彼女は手を引かず、ただ瞳を伏せる。境界が、溶けそうで溶けない。俺の心臓が、速くなる。この熱は、何だ。欲か、錯覚か。

「怜さん、綺麗だね」

 囁くように言うと、彼女はグラスを回し、唇を湿らせる。

「そんなこと、よく言われるわ。でも……本当の私は、もっと複雑よ」

 複雑? その言葉に、俺の胸が疼く。彼女の指が、俺の手に軽く触れる。意図的か、無意識か。グラスの氷が溶ける音だけが、静かに響く。視線が絡み、互いの息が近づく。唇が、触れそうで触れない距離。緊張が、空気を重くする。

 怜の白衣の香り。消毒液と、微かな花の匂い。彼女の瞳に、影が揺れる。仕事の疲れか、それとも秘めた何かか。俺は、その影に引き寄せられる。

「連絡先、交換しない?」

 俺の提案に、怜はスマホを取り出す。指が画面を滑る音。番号を入力し、交換する瞬間、再び指先が触れ合う。震えが、募る。

「明日の夜、待ってるわ。私のマンションでワインを飲もう」

 怜の言葉が、耳に残る。彼女は立ち上がり、コートを羽織る。去り際に、振り返る瞳。熱い、曖昧な視線。

 店を出た俺は、夜風に吹かれながら、胸の疼きを抑えきれなかった。あの触れ合い、あの視線。境界が揺らぎ、熱が肌に絡みつく。明日の夜、何が待つのか。怜の本当の姿は、何なのか。この疼きは、恋か、ただの渇望か。

 スマホに、彼女からのメッセージ。「楽しみにしてる」。その一文に、俺の夜はさらに熱を帯びた。

(第2話へ続く)

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