篠原美琴

ジムの視線に溶ける忠誠(第2話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第2話:指導の指先、絡む視線

 翌日の平日夜、ジムの扉を押すと、重い湿気が遥を包んだ。街灯の光がガラスに滲み、室内の灯りがそれをぼんやりと受け止める。昨夜の余韻が、まだ肌に残っていた。拓也の視線が、背中に張り付く感触。ロッカールームの鏡で、自分の頰がわずかに上気しているのを確認した。夫からの連絡もなく、家は静かだった。二十八歳の体が空白を埋めるようにここに来た。

 ランニングマシンを避け、ストレッチエリアへ。マットの上に座り、脚を広げる。黒のレギンスが膝裏を締め、汗の予感が肌を湿らせる。鏡に映る自分の肩が、昨夜より張っている。心臓の音が、静かな室内に溶け込む。

 足音が近づく。振り返ると、拓也だった。同じ黒のショーツとTシャツ。汗の匂いが、かすかに漂う。彼は視線を合わせず、隣のマットに腰を下ろす。距離は二メートル。沈黙が、再び空気を濃くする。遥の息が、浅くなる。鏡越しに、彼の首筋の筋が浮かぶ。昨夜の記憶が、肌を熱くする。

 「フォームチェック、してもらおうか」

 低い声が響く。トレーナーの大輔だった。三十二歳。ジムの常連が勧めるベテランで、遥も何度か指導を受けていた。背が高く、引き締まった体躯。グレーのタンクトップが腕の血管を浮き彫りにする。彼の視線は冷静で、プロフェッショナル。だが、今夜は違う気配があった。拓也の存在が、空気を微かに変える。

 大輔が遥の前にしゃがむ。膝を軽く押さえ、脚の角度を調整する。指先が、レギンス越しに太ももに触れそうで、触れない。一センチの距離。遥の肌が、ぴくりと震える。「ここを、もう少し開いて。呼吸を深く」 声は低く、息が耳元に届く。汗の匂いが混じる。遥は頷き、従う。胸が上下し、タンクトップの生地が張る。

 鏡に映る拓也の姿。動かない。ただ、見ている。視線が、遥の脚線をなぞるように落ちる。大輔の指が、腰の位置を直す。手のひらの熱が、布地を隔てて伝わる。触れていないのに、遥の腹部が熱を持つ。息の間が、長くなる。夫の顔が、ふと浮かぶが、すぐに霧散する。話題に上らない。誰も、口にしない。

 「いい感じだ。次、プランク」 大輔が立ち上がり、遥を促す。マットに手をつき、体を浮かせる。背筋が伸び、腹筋が引き締まる。汗が背中を滑り落ちる。大輔が後ろに回り、腰のラインを視線で追う。「もっとお尻を締めて。安定するよ」 手が近づき、尻の筋を軽くタップしそうになる。空気の抵抗だけが、肌を撫でる。遥の唇が、わずかに開く。息が漏れる。

 拓也の視線が、鏡の中で絡みつく。大輔の指先と、遥の曲線が、重なるように。沈黙が深まる。二人の男の息遣いが、ジムの空気に溶け込む。遥の全身が、甘く疼き始める。プランクの震えが、別の熱に変わる。忠誠の糸が、心に張り詰めるのに、なぜか緩む。視線だけが、境界を溶かす。

 セットを終え、遥はマットに崩れ落ちる。息が荒い。大輔が水筒を差し出す。「休憩。次はスクワットだ」 指が、遥の腕に触れる。一瞬の接触。熱い。拓也が立ち上がり、こちらへ近づく。フリーウェイトのコーナーから、バーベルを手に取るふり。だが、視線は遥に固定。汗で光る彼女の首筋、胸の谷間を、静かに捉える。

 スクワットへ移る。大輔が遥の前に立つ。「膝を外に。深く沈めて」 彼の視線が、脚の内側に落ちる。遥が沈むたび、レギンスの生地が張り、筋肉の輪郭を浮かび上がらせる。息を吐く音が、響く。大輔の手が、膝の位置を直す。指先が、内腿に一ミリの距離。遥の肌が、熱く反応する。鏡に映る拓也。隣のマシンで腕を上げるが、瞳はこちら。視線が、三人で交錯する。

 沈黙の中で、距離が縮まる。大輔の息が、遥の肩に触れそう。拓也の影が、視界の端を占める。夫の不在が、濃く感じられる。遥の心臓が、激しく鳴る。疼きが、下腹部に溜まる。言葉はない。ただ、視線の重みだけが、体を震わせる。ためらいの沈黙が、甘く深まる。

 「フォーム、完璧だよ。続けられる?」 大輔の声が、低く響く。遥は頷く。唇を湿らせる。拓也の視線が、そこに留まる。一瞬の空白。ジムの時計が、静かに進む。夜が、深くなる。

 セットを重ねるごとに、肌の熱が高まる。大輔の指導が、微かな接触を増やす。肩を押さえ、腰を支える手のひら。触れぬ距離で、熱が伝わる。拓也は黙って見つめ、時折マシンを変える。だが、視線は離れない。二人の男の気配が、遥を包む。息遣いが、シンクロする。夫の話題を避け、自然に。沈黙が、合意の予感を運ぶ。

 最後のストレッチ。大輔が遥の背後に回り、腕を引く。胸が開き、タンクトップがずれそうになる。汗が鎖骨を伝う。拓也の瞳が、鏡越しにそれを追う。遥の体が、震える。甘い疼きが、全身を巡る。指先が、背中に近づく。大輔の息が、耳にかかる。「リラックスして」 言葉の余韻が、残る。

 指導が終わり、大輔が離れる。遥はマットに座り、息を整える。拓也が、水を飲むために近づく。水筒を渡す仕草で、手が触れそう。視線が絡む。三人の空気が、熱を持つ。遥の心に、予感めいた揺れが芽生える。夜のジムに、残された空白が、甘く疼く。

 ロッカールームへ向かう足音が、響く。背中に、二つの視線を感じる。振り返らない。夫の帰宅は、まだ遠い。ジムの扉が、静かに閉まる。

 次話へ続く──夫の影が、溶けゆく夜。

(約1980字)