藤堂志乃

取引先タトゥーに疼く女子アナ(第2話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第2話:袖の奥、刻まれた記憶

 平日午後のオフィス街は、曇天に覆われ、街灯が早めに灯り始めていた。佐倉美咲は前回のメール通りに、再び広告代理店を訪れた。二十八歳の女子アナウンサーとして、今日も番組の追加企画を詰めるための打ち合わせ。エレベーターの鏡に映る自分の姿は、いつものように完璧だ。淡いベージュのブラウスにタイトスカート、髪を後ろでまとめ、控えめなメイク。だが、心の奥で疼きがくすぶっている。あの墨の記憶が、静かに息づいていた。

 会議室に通されると、黒田隆が既に待っていた。三十五歳の営業部長は、今日もダークスーツを纏い、テーブルの上に資料を並べている。部屋は前回より狭く、窓のない密室。扉が閉まると、外の喧騒が遮断され、空気が濃密に淀む。「佐倉さん、予定通りですね。今日は二人で進めましょう。他のメンバーは後ほど合流します」。彼の声は低く、落ち着きを湛えていた。美咲は頷き、席に着く。ノートパソコンを開き、画面を共有する。企画の数字が並ぶ中、視線が自然と彼の腕に落ちる。袖口はきっちり閉じられているが、布地の微かな張りが、墨の存在を予感させる。

 打ち合わせはすぐに本題へ。黒田の説明は前回同様、鋭く論理的だ。視聴率の分析、ターゲット層のシフト、新規CMの挿入案。美咲も応じる。アナウンサーらしい明瞭な言葉で質問を重ね、メモを取る。表面はプロフェッショナルそのもの。だが、部屋の空気が徐々に重くなる。黒田が資料をめくるたび、袖がわずかにずれ、シャツの隙間から黒い線が覗く。龍の尾のようにうねる模様。美咲の喉が、乾く。あの感触を、もっと知りたい。心の底で、好奇心が膨張する。

 一息入ったところで、黒田が水を飲む。グラスを置く動作で、袖がさらに捲れ上がる。墨の全貌が、露わになる。腕の内側から肘にかけて広がるそれは、龍の胴体。鱗の一つ一つが精細に刻まれ、青黒い影が肌に溶け込むように生きている。美咲の視線が、吸い寄せられる。黒田は気づき、静かに袖を下ろさなかった。代わりに、穏やかな目で彼女を見る。「佐倉さん、前回から気になっていらっしゃるようですね。このタトゥー」。言葉に、沈黙が重なる。美咲は平静を装い、首を振る素振りを見せるが、声はわずかに震える。「いえ、失礼しました。ただ……精緻で、印象的だなと」。

 黒田の唇に、かすかな笑みが浮かぶ。彼はゆっくりと袖を捲り上げ、腕を差し出す。密室の蛍光灯が、墨を照らす。「触れてもいいですよ。物語を聞きたいなら」。その言葉に、美咲の心臓が跳ねる。プロフェッショナルとして、距離を保つべきか。だが、内側で蠢く感情が、指を動かす。ゆっくりと手を伸ばし、龍の鱗に触れる。ざらりとした針の跡。温かな肌の下で、脈が静かに打つ。黒田の息が、わずかに深くなる。「二十五歳の頃、人生のどん底でした。失恋、仕事の挫折、すべてを失った夜。彫り師にこの龍を頼んだんです。『守護の象徴』として。痛みは、忘れさせてくれましたよ」。

 彼の声は低く、抑え気味。言葉の合間に、沈黙が落ちる。美咲の指が、鱗をなぞる。粗い感触が、指先に熱を伝える。あの傷跡は、男の内面を映す鏡。自分も、アナウンサーとして完璧を装う日々。ニュースの向こうに潜む孤独、抑え込んだ感情。黒田の過去が、彼女の心を刺激する。視線が絡む。互いの瞳の奥で、秘密が交錯する。好奇心が、疼きに変わる。「隆さん……強いんですね。この龍のように」。名前を呼ぶのは初めて。黒田の目が、わずかに細まる。「美咲さん、あなたの目も、強い。プロフェッショナルな仮面の下に、何かを抱えている」。

 抑えた息づかいが、部屋を満たす。空気が熱く、重い。美咲の指が、龍の尾まで滑る。黒田の手が、軽く彼女の指先に触れる。一瞬の接触。電流のような震えが、背筋を駆け上がる。互いの肌が、熱を分け合う。視線が離せない。沈黙の中で、心の奥底で何かが溶け始める。好奇心は、欲求へ。プロフェッショナルを超えた、互いの渇望。黒田の声が、囁くように響く。「この龍は、守るものを見つけたら、もっと輝くんです。美咲さん、次は仕事以外で。お食事でも、どうです。私の過去、もっと聞かせましょうか」。

 美咲の胸が、焦がされる。頷く。指が、ゆっくり離れる。だが、感触は残る。墨の熱が、肌に染みつく。打ち合わせを再開するが、言葉の端々に余韻が滲む。終了時、握手。掌の温もりが、前回より長く。部屋を出てエレベーターで、美咲は腕に残るざらつきを、指で確かめる。外は夕暮れの闇が迫り、雨の気配。タクシーの中で、スマホに届く確認のメッセージ。黒田から。ディナーの日時。唇に、抑えきれない笑みが浮かぶ。

 その夜、美咲は自宅のラウンジチェアに沈む。窓辺から見える夜の街灯が、ぼんやり光る。グラスに注いだ赤ワインを、ゆっくり味わう。目を閉じると、密室の記憶が蘇る。龍の鱗。ざらりとした跡。黒田の脈打つ肌。指先の触れ合い。あの沈黙の重み、視線の奥で交錯した秘密。息が乱れ、太ももに熱が集まる。抑えようとワインを飲むが、疼きは深まる。人生の傷跡を刻んだ男の強さ。自分の内省的な心が、それに溶け出す瞬間。次なる約束が、胸を焦がす。墨の物語は、まだ始まったばかり。心の奥で、甘い震えが続き、夜を深くする。

(2012文字)