久我涼一

女社長の視線、夫を溶かす夜(第2話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第2話:ラウンジの酒、絡まる指先

 数週間後、拓也は地方都市への出張で、夕暮れのホテルにチェックインした。平日夜のロビーは、ビジネス客の足音だけが響く静けさ。外は細雨が降り続き、ガラス窓に街灯の光が滲む。35歳の体に疲労が染みついていたが、取引先との打ち合わせを終え、ラウンジへ向かう足取りは軽かった。あの取引室の視線が、未だに胸の奥で疼いている。黒崎美佐子。42歳の女社長。夫の無関心を漏らした言葉が、日常の隙間を熱くする。

 ラウンジは薄暗く、ジャズの低音が空気を震わせていた。カウンター席に腰を下ろすと、バーテンダーがグラスを滑らせる。ウイスキーの琥珀色が、氷の音を伴って揺れる。拓也は一口含み、肩の力を抜いた。ふと、隣の席に視線を感じる。黒のワンピースにカーディガンを羽織った女性。肩まで伸ばした黒髪、後ろで軽くまとめている。あの輪郭。美佐子だった。

「佐藤部長……こんなところで」

 彼女の声は低く、驚きを抑えたもの。拓也はグラスを置き、立ち上がる。握手ではなく、自然に頷き合う。美佐子も出張中だった。同じ業界の別取引で、この街に来ていたという。偶然か、必然か。カウンターに並んで座り、再び酒が運ばれる。雨音が窓を叩く中、二人は前回の交渉を振り返る。言葉は業務的だが、視線が絡む。美佐子の瞳に、あの取引室と同じ熱が、かすかに揺らめく。

「夫は相変わらずよ。昨夜も、帰宅すると寝室の灯りを消したまま。私の存在なんて、影みたい」

 美佐子がグラスを回しながら漏らす。酒のせいか、声に棘が少ない。拓也は黙って聞く。35歳独身の自分に、彼女の言葉が染みる。過去の女性たちも、こうして日常の不満を零し、熱を求めた。夫の影が、酒の琥珀に溶けていく。美佐子の指が、グラスをなぞる仕草。細く、しかし力強い。拓也の視線が、そこに落ちる。

「あなたは……独身よね。あの視線、自由な熱を感じたわ」

 美佐子の言葉に、拓也の胸がざわつく。カウンターの木目が、指先に冷たい。彼女の膝が、わずかに拓也の腿に触れる。意図的か、無意識か。酒が進むにつれ、会話は深まる。業界の噂、互いの社内事情。そして、再び夫の話。美佐子は目を伏せ、唇を湿らせる。

「二十年も一緒にいると、情熱は義務になるの。ベッドでさえ、触れても反応がない。体が、乾いてるみたい」

 彼女の吐息が、拓也の耳に届く。距離が近い。ラウンジの照明が、彼女の首筋を柔らかく照らす。拓也はグラスを握りしめ、理性の糸を確かめる。大人だ。責任がある。だが、指先が自然に動く。美佐子の手に、軽く触れる。氷のように冷たいはずの手が、熱を帯びる。彼女の指が、応じるように絡む。ゆっくりと、指の腹が擦れ合う。肌の震えが、静かな電流のように伝わる。

 視線が絡む。理性の狭間。美佐子の瞳に、夫の影が薄れ、拓也の姿が映る。ありふれた仕草。指の触れ合いだけ。だが、その裏に膨らむ熱が、体を熱くする。拓也の心臓が、速まる。彼女の指が、掌に滑り込む。柔らかく、しかし強い握り。酒の香りと、彼女の体温が混じる。ラウンジのジャズが、鼓動を煽る。

「佐藤部長……この熱、感じてる?」

 美佐子の声が、囁きに変わる。拓也は頷く。言葉はいらない。指先の震えが、すべてを語る。立ち上がる頃、二人は互いの部屋の階が同じだと知る。エレベーターに乗り込む。狭い空間で、肩が触れ合う。ドアが開き、廊下を並んで歩く。美佐子の部屋の前で、立ち止まる。カードキーを差し込む手が、わずかに震える。

 ドアが開きかける瞬間、美佐子の吐息が拓也の耳を撫でる。温かく、湿った息。首筋に唇が触れそうなくらい近い。「入って……少しだけ」。その言葉に、合意の予感。拓也の体が、前に傾く。一線を越えかける熱が、部屋の闇に吸い込まれそう。

 その時、美佐子のスマホが鳴り響く。画面に「夫」と表示。振動が、二人の指先を震わせる。美佐子は一瞬、躊躇う。だが、視線を拓也に戻す。夫の影が、再び忍び寄る中、二人はドアの前で息を潜める。理性と衝動の狭間。部屋に戻る直前、彼女の吐息が、耳に残る疼きを残す。

 拓也は自室に戻り、ベッドに崩れ落ちる。指先の感触が、消えない。美佐子の部屋の扉が閉まる音が、廊下に響く。あの電話が、二人の熱を試すように。夜の雨が、窓を叩き続ける。次に会う時、何が起きるのか。抑えきれない衝動が、ゆっくりと体を蝕み始める。

 美佐子は部屋の窓辺に立ち、夫の電話を切る。グラスに残るウイスキーを飲み干す。佐藤拓也の指の熱が、掌に残る。夫の声が、遠くかすむ。理性の糸が、緩みゆく夜。互いの視線が、闇の中で絡みつく。

(第2話 終わり 次話へ続く)