この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。
## 第1話:沈黙の食卓、指先の予感
雨の音が、窓ガラスを叩く。平日の夜遅く、街の喧騒は遠く、部屋の中だけが静かに息づいていた。俺、佐倉悠真、25歳。今日からこのアパートで、血のつながらない義姉の怜子と暮らすことになった。父の再婚相手の連れ子で、28歳の彼女とは、これまで数えるほどしか顔を合わせていない。実の姉弟ではない。それだけが、俺の胸にわずかな安堵を残していた。
怜子は、クールビューティーと呼ぶに相応しい女だった。黒髪を肩まで伸ばし、細いフレームの眼鏡の奥で、瞳がいつも少し遠くを見ている。会社員らしいグレーのワンピースを着こなし、動きに無駄がない。引っ越しの荷物を運び終え、ようやく食卓についたのは、午後十時を回ってからだ。テーブルの上には、コンビニの弁当が並ぶ。彼女が買ってきたものだ。
「どうぞ」
怜子が短く言い、箸を差し出す。声は低く、抑揚がない。俺は頷き、受け取った。部屋の照明は薄暗く、ランプの光が彼女の横顔を淡く照らす。雨音が、沈黙を埋める唯一の伴奏だった。
食事が進むにつれ、視線が絡む瞬間が増えた。彼女の瞳は、俺の顔を素通りするかのように見つめ、すぐに皿に移る。だが、その一瞬に、何かが宿る。冷たいガラスのような透明さの中に、わずかな揺らぎ。俺の喉が、乾くのを感じた。箸を持つ手が、互いに近づく。テーブルの下、膝が触れそうな距離。息が、静かに重なる。
野菜を口に運ぼうと手を伸ばした時だった。怜子の指先が、俺の指の甲に触れた。箸の先が、皿の縁で止まり、わずかにずれただけだ。柔らかい感触。冷たく、しかし温かみのある肌。彼女の指は細く、白く、爪は短く整えられている。触れたのは、ほんの一瞬。だが、俺の全身に電流のような震えが走った。
怜子は、視線を上げない。指を引かず、ただ静かに箸を動かす。俺も、同じく。息が、途切れる。心臓の鼓動が、耳元で鳴り響く。指先の熱が、ゆっくりと広がる。肌の下で、脈打つ。彼女の瞳が、ようやく俺を捉えた。冷静なまま、しかしその奥に、抑えきれない何かが灯る気配。睫毛のわずかな震え。唇の端が、微かに湿る。
食事が終わり、片付けを終える頃、怜子の声が響いた。
「遅くなったね。ゆっくり休んで」
その言葉は淡々と、しかし視線は俺の手に留まり、指先をなぞるように。俺は頷くしかなかった。喉が、詰まる。部屋を分ける薄い壁一枚。彼女の部屋の扉が、静かに閉まる音が聞こえた。
ベッドに横になり、目を閉じる。雨はまだ降り続く。静寂の中で、壁越しに微かな物音が伝わってきた。布ずれのような、息の乱れのような。怜子の気配が、壁を越えて忍び寄る。指先の記憶が、蘇る。熱く、疼く。夜は、まだ長い。
(第2話へ続く)
4話完結