緋雨

湯けむりお姉さんの抑えきれぬ視線(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:湯煙に溶ける視線

 平日の暮れの山奥、雨に濡れた杉林が旅館の周りを囲む。二十代後半の男、拓也は一人、黒塗りの玄関をくぐった。仕事の疲れを癒すため、急ごしらえの湯治。静かなロビーに、畳の匂いが広がる。女将の穏やかな挨拶が、雨音に溶け込む。

 部屋に荷を解き、浴衣に着替える。窓辺から見える露天風呂の灯りが、ぼんやりと揺れる。夜の帳が下り、客の気配はほとんどない。湯船の熱気が、遠くから肌を撫でるようだ。拓也は浴衣の裾を握り、廊下を抜けた。石畳の足音が、静寂に響く。

 露天の扉を開けると、湯気が白く立ち上る。岩組みの湯船が、闇に溶け込み、ほのかな灯籠の光が水面を照らす。誰もいない。拓也は浴衣を脱ぎ、素肌を湯気に委ねる。熱い湯が足首を包み、肩まで沈む。吐息が白く湯に混じる。雨の音が、木々の葉を叩く。静けさが、肌の奥まで染みる。

 目を閉じ、首を傾げる。湯の重みが、筋肉を解す。どれほど経ったか。微かな水音が、耳を捉える。拓也はゆっくり目を開けた。湯船の向こう、岩陰から、影が現れる。女性だ。二十五歳ほどの、ショートヘアの美女。黒髪が短く切り揃えられ、湯気で湿り気を帯びている。彼女は静かに湯船に近づき、浴衣を脱ぐ。白い肌が、灯りに浮かぶ。

 拓也の息が、わずかに止まる。彼女はこちらに気づき、瞳を上げる。落ち着いた、深い瞳。黒曜石のように静かで、しかし底に熱を宿す。視線が、湯気を貫く。絡みつくように、互いの肌をなぞる。言葉はない。沈黙が、湯の表面を震わせる。

 彼女はゆっくりと湯に沈む。肩が水面下に滑り、首筋に一筋の滴が伝う。灯りが、その滴を光らせる。拓也の視線は、そこに留まる。彼女の瞳が、応じるように細まる。湯気が二人の間を漂い、空気を重くする。肌が、熱く疼く。息が、わずかに乱れ、水面に波紋を広げる。

 彼女のショートヘアが、湯に濡れ、耳朶に張りつく。首のラインが、優しく弧を描く。拓也は動けない。視線が、肌を撫でるようだ。彼女の瞳は、静かに彼の胸を、腹を、腿を這う。抑えられた熱が、湯に溶け出す。沈黙が、甘く張り詰める。指先が、無意識に湯を掻く。水音が、二人の息に重なる。

 雨が強まる。木立のざわめきが、露天を包む。彼女の肩が、わずかに揺れる。息が、唇から漏れる。湿った吐息が、湯気に混じり、拓也の鼻先をくすぐる。視線が深くなる。互いの瞳に、夜の闇が映る。離れがたい視線。湯船の熱が、身体の芯を溶かす。

 彼女の首筋の滴が、もう一筋。ゆっくりと鎖骨へ落ちる。拓也の喉が、鳴る。彼女の瞳が、わずかに揺らぐ。抑えきれぬ何か。静かな緊張が、空気を震わせる。肌が、甘く疼き始める。沈黙の中、視線だけが、互いを繋ぐ。

 どれほど時が過ぎたか。彼女はゆっくり立ち上がる。水が、肌を滑り落ちる。ショートヘアが、湯気を纏い、首筋に光る。浴衣を羽織り、振り返る。瞳が、最後に絡む。深い、誘うような視線。扉が、静かに閉まる。

 拓也は湯に沈んだまま、息を吐く。肌に残る熱。視線の余韻が、疼く。夜は、まだ長い。この湯煙の向こうに、何かが待つ予感が、静かに胸を締めつける。

(約1950字)