三条由真

女教師の視線が主導権を奪う(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:視線が空気を凍らせる指導

 平日夕暮れの大学キャンパスは、静寂に包まれていた。講義棟の三階、薄暗い廊下に足音が響く。32歳の新任助講師、拓也は、肩に重い鞄をかけ、指定された研究室の扉をノックした。心臓の鼓動が、わずかに速まる。入室を促す声は、冷たく澄んでいた。

「どうぞ、入って」

 38歳の准教授、美咲だった。キャリアを積み重ねた女教師の名にふさわしく、黒いテーラードスーツが彼女の肢体をシャープに引き立てている。デスクに座ったまま、書類に目を落とすその姿は、まるで王座に君臨する女王のよう。拓也は扉を閉め、緊張を抑えながら近づいた。

「准教授、資料の件でお呼びになりましたか」

 美咲はゆっくりと顔を上げた。その瞬間、空気が凍りついた。彼女の視線――鋭く、深く、底知れぬ闇を湛えた瞳が、拓也の全身を射抜く。抗う術などない。ただ立っているだけで、背筋が引き締まり、息が浅くなる。彼女は微笑まない。ただ、静かに見つめるだけだ。

「拓也先生。君の提出した講義計画書、確認したわ」

 声は穏やかだが、言葉の端々に甘い圧力が宿る。美咲は書類をデスクに置き、細い指で一箇所を指し示した。拓也は慌てて覗き込む。確かに、参考文献の引用に誤りがあった。些細なミスだが、彼女の前では致命的に思えた。

「ここよ。君の担当分野のはずね。なぜ確認を怠ったの?」

 視線が再び絡みつく。拓也の喉が、乾く。彼女の瞳は、ただ叱責するだけではない。何かを探るように、深く沈み込む。心の奥底まで見透かされているような錯覚に、拓也の頰が熱を帯びた。

「申し訳ありません。急ぎでまとめていて……今すぐ修正します」

「今すぐ、ね」

 美咲の唇が、わずかに弧を描く。微笑みか、それとも嘲りか。曖昧な表情が、拓也の胸をざわつかせる。彼女は椅子から立ち上がり、デスクを回って彼に近づいた。距離が縮まるたび、微かな香水の匂いが漂い、空気を甘く淀ませる。38歳の女性の成熟した気配が、拓也の肌を微かに震わせた。

「新任の君に期待しているのよ、拓也先生。私たちの講座は、完璧を求められるわ。君のミスは、私の責任にもなるの」

 言葉は優しいのに、視線の重みが拓也を押さえつける。彼女の瞳が、わずかに細められる。まるで、獲物を値踏みするような……。拓也は視線を逸らしたかったが、できなかった。互いの息づかいが、静かな研究室に響き始める。彼女の胸元が、わずかに上下する。スーツの生地が、柔らかく波打つ。

「わかりました。准教授の指導、感謝します」

 拓也の声がかすれる。美咲はさらに一歩近づき、書類を彼の胸に押しつけた。指先が、偶然か意図か、シャツの布地に触れる。電流のような震えが、拓也の体を走った。彼女の視線は変わらず、深く沈む。

「感謝、だけ? 行動で示しなさい。明日の準備室で、修正版を待ってるわ。二人きりで、じっくり確認しましょう」

 その言葉に、拓也の心臓が激しく鳴った。準備室――狭い密室。夕暮れのキャンパスに、残るのは大人の影だけ。美咲の視線が、ようやく緩む。だが、その瞳の奥に、甘い予感が宿っていた。拓也は抗えないまま、頷くしかなかった。

 彼女は再びデスクに戻り、書類に目を落とす。空気が、ゆっくりと溶け始める。だが、拓也の肌には、視線の余熱が残っていた。主導権を握るのは、どちらなのか。明日の準備室で、何が起こるのか――その予感が、甘く疼く。

 研究室を出た拓也の背後で、美咲の唇が、かすかに微笑んだ。均衡が、わずかに揺らぎ始めていた。

(第1話 終わり)

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