篠原美琴

指圧の隙間に忍び寄る疼き(第2話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第2話:鎖骨の際を這う指先

 翌日の平日、夕暮れの空が再び街を淡く沈める頃。私は予約票を握りしめ、路地裏の指圧店へ足を運んだ。昨夜の余韻が、肩に残る微かな圧として疼いていた。家でシャワーを浴びても、布越しに刻まれた熱が消えず、鏡の前で無意識に首筋を撫でていた。仕事の合間、時計を見るたび、あの部屋の静けさが脳裏に浮かぶ。扉を押す手が、わずかに震えた。

 店内は変わらぬ仄暗さ。カウンターの男が、視線を上げずに予約票を受け取る。四十代半ばの体躯は、昨日より近く感じられた。言葉なく奥の個室へ案内される。畳の感触、施術台と鏡の向き合う配置。厚いカーテンが外の足音を遮り、部屋は再び沈黙に包まれる。

「着替えて、うつ伏せでお待ちください」

 低い声が響き、男は去った。私は施術着に袖を通す。薄い布が肌に密着し、昨日の記憶を呼び起こす。台に横たわり、目を閉じる。肩の凝りはまだ残り、息を吐くたび鈍く疼く。足音が近づき、指が背中に触れる。親指の腹が、肩甲骨を沈み込むように押す。昨日より深く、筋肉の奥を捉える。息が、わずかに詰まる。

 指の動きは無言で進む。背骨をなぞり、腰へ。手のひらの熱が布を透かし、肌の下で広がる。固さが解け、体が軽くなるのに、心のどこかが重くなる。鏡に映る自分の顔、頰が上気し、唇が乾いている。男の姿も、横から見える。集中した視線が、昨日より長く留まる気がした。

「今日は、仰向けでお願いします」

 男の声が、初めて響く。指が止まり、部屋の空気がわずかに揺れる。私はゆっくり体を返す。仰向けの姿勢で、施術着の胸元が自然に開く。鎖骨が露わになり、息の上下で布が微かに動く。男の視線が、一瞬そこに落ちる。沈黙が、重くのしかかる。

 指が、肩に置かれる。親指が鎖骨の際を、ゆっくり滑る。筋肉の縁をなぞるように、圧を加える。プロの技。凝りがほぐれる感覚が、甘く広がる。息が浅くなり、胸の鼓動が速まる。指先が、鎖骨のくぼみを沈め、内側へ。胸元のライン、布の端を掠めるように押す。触れぬ境界で、肌が熱を帯びる。全身が、微かに緊張する。

 鏡に、互いの姿が映る。私の目が、わずかに見開かれ、頰が赤らむ。男の顔は変わらず、しかし唇の端が微かに動く。視線が、鏡越しに絡む。言葉はない。指の動きだけが、部屋を支配する。鎖骨から胸筋の外側へ。頂点近くのラインを、執拗に揉みほぐす。圧が深く、息の間が乱れる。肌の下で、何かが疼き始める。布の隙間から、熱気が漏れるように。

 「ここも、固いですね」

 男の声が、低く響く。指が止まり、親指が胸元の際をなぞる。私は頷くことしかできない。喉が乾き、言葉が浮かばない。沈黙が、空気を濃くする。指の感触が、鮮明に残る。熱が、胸全体に広がり、息が細くなる。男の吐息が、近くで感じられる。距離は保たれているのに、心の隙間に緊張が忍び込む。

 指が、再び動き出す。鎖骨の内側を、円を描くように押す。肌が震え、胸のざわめきが募る。頂点の近くを避けつつ、ラインを往復する。圧の度合いが、昨日より繊細で、甘い。体が、無意識に反応する。息が途切れ、視線が男の手に落ちる。手のひらの皺、指の節。そこに、昨日の記憶が重なる。部屋の空気が、熱を帯びる。

 四十分が過ぎ、男の手が離れる。体が、ふっと浮くような軽さ。立ち上がり、着替えながら鏡を見る。頰は火照り、胸元がまだ熱い。施術着の布が、肌に張りつき、ざわめきを閉じ込める。男はカウンターで、次回の予約票を差し出す。

「また、来てください。もっとほぐせます」

 視線が、再び交錯。沈黙の奥に、わずかな揺らぎ。男の目が、昨日より深く私を捉える。私は頷き、予約を入れる。店を出ると、夜風が肌を撫でる。路地の街灯が、ぼんやり照らす中、胸の熱が消えない。家路につきながら、鎖骨に残る指の軌跡を思い出す。あの際どいラインの圧が、疼きを増幅させる。明日の夜、再びあの部屋へ。予約票を胸に押し当て、足音が静かに響く。

(約1980字)