藤堂志乃

盗撮視線に囚われ咀嚼の虜(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:密かなレンズのざわめき

 平日の夜、オフィスの窓辺に沈む街灯の光が、拓也の頰を淡く照らしていた。二十八歳の彼は、残業の机上で資料を広げながら、視線をそっと上司のデスクへと滑らせた。三十五歳の美佐子。部署の課長として、いつも静かに佇むその姿は、拓也の胸に抑えきれないざわめきを呼び起こす。

 彼女の唇が、ゆっくりと動く。コーヒーカップを口に運ぶ仕草。細い指先がカップの縁をなぞる瞬間。拓也はスマホを膝の上に置き、画面を覗き込むようにしてシャッターを切った。カシャ、という音は鳴らない。無音のレンズが、彼女の輪郭を捉える。心臓が、喉元で鳴り響く。ドクン、ドクン。興奮が、内側からじわりと染み出す。

 なぜこんなことを。拓也自身、理由を言葉にできない。ただ、美佐子の存在が、彼の内に潜む渇望を掻き立てるのだ。Mの気質。誰かに支配されたい、視線で縛られたいという、密かな疼き。それを満たすかのように、彼女の日常を盗む。今日で三度目。オフィスの空気が、重く淀む夜更けの誰もいないフロアで。

 美佐子は気づいていないはずだった。デスクの向こうで、書類に目を落とす横顔は、変わらず穏やかだ。長い黒髪が肩に落ち、首筋の白さが街灯に浮かび上がる。拓也の指が震え、再びレンズを向ける。ズームイン。唇の柔らかな曲線。息を潜め、連写する。胸の奥が熱く疼く。彼女の視線が自分に向けられたら、どうなるだろう。叱責か、無視か。それとも……。

 ふと、空気が変わった。美佐子の動きが止まる。彼女の顔が、ゆっくりと上がる。拓也のスマホに向かって。いや、彼自身に向かって。視線が、鋭く絡みつく。心臓が、激しく跳ね上がった。ドクドクドク。彼女の瞳は、闇のように深く、拓也の秘密を覗き込むようだ。スマホを慌てて伏せ、目を逸らす。だが、遅い。美佐子の唇が、微かに弧を描く。笑みか、それとも。

 沈黙が、オフィスを覆う。拓也の背筋に、冷たい汗が伝う。興奮が、恐怖と混じり合う。彼女は知っている。盗撮の事実を。視線の奥に、静かな支配の予感が宿る。美佐子は立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。ヒールの音が、床に響く。カツ、カツ。一歩ごとに、拓也の息が浅くなる。抑えきれないざわめきが、身体の芯を震わせる。

 彼女の影が、拓也のデスクに落ちる。間近で、美佐子の香りが漂う。微かなフローラルの残り香。視線が、上から降り注ぐ。拓也は顔を上げられない。膝の上のスマホが、重くのしかかる。心の中で、渦巻く感情。恥辱と、甘い期待。彼女の沈黙が、拓也の内側を抉る。言葉はない。ただ、視線の重さだけが、二人を繋ぐ。

 美佐子の指が、デスクの端を叩く。トントン。リズムが、拓也の鼓動に同期する。彼女の息が、かすかに聞こえる。抑えられた、深い吐息。拓也の首筋が、熱く火照る。視線が絡み合い、互いの秘密が、静かに交錯する瞬間。オフィスの空気が、甘く張り詰める。

 美佐子は、何も言わず踵を返す。デスクに戻るヒールの音が、遠ざかる。だが、その視線の余韻が、拓也の肌に残る。胸の奥で、何かが決定的に変わり始める。抑えきれない興奮が、内側で渦を巻く。彼女の沈黙が、拓也を虜にする。互いの息が、重なり合う予感が、夜のオフィスに満ちる。

 拓也はスマホを握りしめ、画面を見つめる。そこに、美佐子の唇。貪られる予感を孕んだ、柔らかな曲線。心臓が高鳴り、止まらない。次に、何が起こるのか。彼女の視線が、再び自分を囚える時――。

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