篠原美琴

湯気のヨガ、ストッキングの息遣い(第2話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第2話:浴衣の湯気、ストッキングの膝

 平日の夜、雨が細く降る山道を抜け、旅館に着いた。美咲は遥の運転する車から降り、濡れた肩を拭う。35歳の遥は、黒いコートを脱ぎ、フロントで穏やかに手続きを済ませた。ロビーの灯りが、畳の廊下を柔らかく照らす。客はまばらで、静かな足音だけが響く。湯の香りが、かすかに漂っていた。

 部屋は広々とした和室。二間続きで、障子越しに庭の闇が見える。美咲は荷物を置き、窓辺に立った。外の雨音が、心のざわめきを掻き消すよう。遥が浴衣を広げ、静かに言った。

「まずは湯に浸かりましょう。体を解して、ヨガを始めます」

 美咲は頷き、浴衣に袖を通した。遥も同じく、淡い藍色の浴衣を纏った。だが、遥の足元に違和感。裾から覗くのは、薄い黒ストッキング。浴衣の下に、わざと纏っていた。光沢が、畳の上でかすかに光る。美咲の視線が、ついそこに落ちた。あのスタジオの記憶が、肌に蘇った。

 大浴場は貸切同然。美咲は湯船に浸かり、湯気が立ち上る。遥の浴衣姿が、霧の向こうでぼんやり。ストッキングは脱がず、湯に濡れた膝まで張り付くように光っている。美咲は目を逸らし、自分の脚を沈めた。熱い湯が、体の芯を溶かす。だが、心の熱は、別のもの。遥の存在が、湯気のように絡みつく。

 部屋に戻り、マットを敷いた。湯上がりの湿気が、空気を重くした。障子を閉め、照明を落とす。柔らかな灯りが、浴衣の皺を優しく浮かび上がらせる。遥が中央に立ち、ストッキングの脚を軽く曲げた。擦れ音。かすかな、布の息遣い。

「美咲さん、ダウンドッグから。湯の余熱で、深く伸ばせますよ」

 遥の声は低く、雨音に溶ける。美咲は四つん這いになり、手を前に滑らせた。尻を上げ、脚を伸ばした。浴衣の裾が、わずかに捲れ上がる。視界の端に、遥の脚。ストッキングが湯気で湿り、肌に密着した光沢を帯びている。黒い網目が、細かく揺れる。遥が近づき、指導の体勢を取る。

 気配が、重なる。

 遥の膝が、美咲の外腿に寄った。ほんの一瞬、浴衣越しに。ストッキングの滑らかさが、布地を伝う。熱い。湯の熱か、それとも。美咲の息が、浅くなる。遥の手が、腰骨に触れた。親指が、内腿の際をなぞるように留まった。沈黙。雨音だけが、部屋を満たす。二人の息が、わずかに重なる。

 ポーズを解き、次の戦士へ。美咲は片脚を後ろに引き、腕を広げる。遥が横に並び、同じポーズを取る。浴衣の袖が揺れ、ストッキングの膝が美咲の視界に近づく。湯気の残る空気に、布の湿った光沢が浮かぶ。遥の視線が、鏡代わりの障子に映る自分の脚を捉え、そして美咲へ。ゆっくり、下へ滑る。美咲の浴衣に包まれた脚線を、なぞるように。

 美咲の喉が、乾いた。視線を合わせようと顔を上げると、遥の瞳が待っていた。微かな揺れ。言葉はない。ただ、熱を孕んだ沈黙。遥の唇が、かすかに開く。息が、漏れる。

「腰を、もう少し落として」

 囁き。遥の指が、再び腰に。だが今度は、親指が美咲の腿をストッキングの膝に触れそうに押さえる。距離が、ない。浴衣の裾同士が擦れ、ストッキングの感触が間接的に伝わる。美咲の指先が、無意識にマットから離れ、遥の膝へ伸びかける。触れそう。黒い光沢に、指が震える。ためらい。沈黙が、部屋を濃くする。

 遥は手を離さず、視線を固定した。瞳に、誘うような光。美咲の心が、揺らぐ。拒む言葉を探すが、出ない。代わりに、胸の奥が疼く。湯気の向こうで、遥の脚線がゆっくり動く。ストッキングの皺が、伸ばされ、張り詰める。美咲の息が、途切れる。二人の間、距離が縮まる。指先が、遥の膝に、ほんの僅か、触れる寸前。

 クラスは続く。チャイルドポーズへ。美咲は膝を畳み、上体を伏せる。遥が後ろから寄り、背中を押す。ストッキングの膝が、美咲の脇腹に並ぶ。湿った布の熱が、浴衣越しに染みる。視線が絡まる。遥の目が、美咲の指先を追う。あの、触れそうだった場所を。ゆっくり、上へ這うように上がり、顔に留まる。「もっと深く」と、声にならない声が、瞳に宿る。

 美咲の全身が、熱を帯びる。ためらいの沈黙に、体が寄りそうになる。遥の息が、耳元近くで感じられる。雨音が、遠く聞こえる。部屋の空気が、甘く重い。

 ヨガが終わり、マットを畳む。美咲は浴衣の裾を直し、座った。遥が湯呑みを差し出す。お茶の湯気が、立ち上る。視線が、再び絡む。遥のストッキングの脚が、畳に沈む。膝の曲線が、灯りに光る。

「どうでしたか。湯気のなか、感じが違いますね」

 遥の声は穏やか。だが、目が違う。熱く、深く。美咲は湯呑みを握り、言葉を探す。

「はい……体が、熱くて」

 沈黙。遥の視線が、美咲の指先をなぞる。あの、触れそうだった記憶を。美咲の膝が、かすかに震える。遥が、身を寄せた。浴衣の袖が触れ合う。

「明日は露天で。もっと、深く繋がれますよ」

 囁き。遥の瞳が、誘う。ストッキングの膝が、美咲の腿に触れそうに。美咲の心が、ざわつきながら、溶けていく。雨音が、約束のように響く。

(第3話へ続く)

(約2050字)