篠原美琴

ジムの視線に溶ける忠誠(第3話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第3話:指先の空白、溶ける忠誠

 平日の夜、ジムの扉を押すと、湿った空気が遥を飲み込んだ。街灯の光がガラスに滲み、室内の灯りがぼんやりと揺れる。夫からの連絡はなく、帰宅はさらに遅れるという。家は空っぽの静寂だけ。二十八歳の遥の肌が、昨夜の予感をまだ引きずっていた。三人の視線が残した熱が、胸の奥でくすぶる。ロッカールームの鏡で、自分の瞳がわずかに潤んでいるのを確かめた。

 室内はいつもより薄暗く、他の客の気配がない。マシンの音が止まり、時計の針だけが静かに進む。遥はフリーウェイトのコーナーへ向かう。ダンベルを握り、腕を上げる。汗がまだ出ていない肌に、冷たい空気が触れる。鏡に映る自分の肩が、張りつめている。

 足音が響く。拓也だった。三十歳の体躯が、影のように近づく。黒のショーツが汗で湿り、Tシャツの裾がわずかにめくれ、腹筋の線を覗かせる。彼は言葉なく、隣のベンチに座る。視線が、遥の脚の線に落ちる。沈黙が、空気を濃くする。遥の息が、浅くなる。

 もう一つの足音。大輔だ。三十二歳のトレーナーが、グレーのタンクトップ姿で現れる。「まだやってるの? フォーム、見ておくよ」 声は低く、プロフェッショナル。だが、瞳に昨夜の余韻が残る。彼は遥の前に立ち、腕の軌跡を視線で追う。指先が、ダンベルの位置を直すように近づく。一センチの距離。触れぬ熱が、肌を震わせる。

 遥はセットを続ける。上げ下げするたび、肩の筋肉が波打つ。汗が首筋を滑り、鎖骨に溜まる。大輔の息づかいが、耳元に届く。拓也の視線が、鏡越しに絡みつく。遥の腰の曲線、汗で光る腹部を、静かに捉える。三人の空気が、熱を持つ。夫の不在が、沈黙を深くする。

 「ベンチプレス、やってみて」 大輔がバーベルをセットする。遥はベンチに横たわる。胸に下ろす瞬間、手のひらの感触を想像する。だが、彼はスポッターとして後ろに立つだけ。視線が、遥の首筋に落ちる。押し上げる息の音が、響く。筋肉の震えが、下腹部に伝わる。拓也が立ち上がり、横に移動。視界の端で、彼の影が重なる。二人の瞳が、鏡の中で交錯する。

 一押しごとに、体が熱くなる。汗がタンクトップを透けさせ、胸の輪郭を浮かび上がらせる。大輔の指が、バーベルの端に触れ、安定させる。遥の腕に、一ミリの距離。息が混じり合う。拓也の視線が、そこに留まる。遥の唇が、乾く。舌で湿らせる仕草に、二つの瞳が反応する。沈黙の中で、忠誠の糸が微かに緩む。夫の顔が浮かぶが、霧のように溶ける。

 セットを終え、遥は起き上がる。息が荒い。大輔が水筒を差し出す。「休憩」 指先が、遥の手に触れそう。空気の抵抗だけが、肌を撫でる。拓也が近づき、同じ水筒を手に取る。三人で輪になるように立つ。視線が絡み、沈黙が頂点に近づく。ジムの空気が、重く甘い。

 「次、プランクで締めようか」 大輔の声が、低く響く。遥はマットに手をつく。体を浮かせる。背筋が伸び、尻の筋肉が締まる。汗が背中を伝い落ちる。大輔が後ろに回り、腰のラインを視線で直す。「もっと締めて」 手が近づき、尻の位置に指先が迫る。二ミリ、一ミリ。触れぬ距離で、熱が伝わる。遥の全身が、ぴくりと震える。

 鏡に映る拓也。動かない。ただ、見つめる。視線が、大輔の指先と遥の曲線を繋ぐように落ちる。プランクの震えが、甘い疼きに変わる。下腹部に熱が溜まり、腿の内側が湿る。息の間が、長くなる。唇が、わずかに開く。漏れる吐息に、二人の瞳が鋭くなる。

 持続するたび、疼きが強まる。大輔の息が、遥の耳にかかる。「いいよ、そのまま」 指先が、腰骨に触れそう。拓也がマットサイドにしゃがみ、視線を上げる。遥の顔、開いた唇、汗で濡れた首筋を捉える。三人の息づかいが、シンクロする。忠誠の壁が、溶け始める。夫の影が、遠くなる。

 限界が来る。遥の体が、激しく震え出す。プランクの崩れが、別の頂点へ導く。甘い波が、全身を巡る。指先が震え、視界が白く滲む。唇から、抑えきれない息が漏れる。大輔の指が、ようやく腰に触れる。一瞬の支え。熱い。拓也の視線が、遥の瞳を貫く。沈黙の中で、頂点が訪れる。肌が熱く疼き、空白に溶ける。

 マットに崩れ落ちる遥。息が乱れ、胸が激しく上下する。大輔が手を差し伸べ、引き起こす。指が絡みそうで、絡まない。拓也が立ち、水を飲ませる。水筒の縁に、唇が触れる。二人の視線が、遥の濡れた瞳に注がれる。言葉はない。ただ、熱い余韻が残る。

 ジムの時計が、深夜を指す。他の気配はなく、三人だけ。沈黙が、再び訪れる。だが、今度は違う。遥の心に、選択の予感が芽生える。大輔の声が、低く響く。「まだ、続けられる? 奥の部屋で、特別メニューがあるよ」 拓也の瞳が、頷くように細まる。遥の唇が、再び開きかける。視線が、合意を運ぶ。

 背中に、二つの熱を感じる。ロッカールームへ向かわない。ジムの空気が、頂点を越える予感に満ちる。夫の帰宅は、まだ遠い。夜が、深く沈む。

 次話へ続く──薄暗い部屋で、絡む視線と肌の余韻。

(約2050字)