神崎結維

視線が溶かす秘めた弱点(第1話)

この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。

## 第1話:残業の視線が絡む距離

オフィスの窓辺に、平日の夜の街灯がぼんやりと滲んでいた。雨が細く降り続き、ガラスに張り付いた雫が、室内の蛍光灯を歪んだように反射させる。24歳の新入社員、蓮はデスクの前に座り、モニターの光に目を細めていた。入社して三ヶ月。慣れない資料の山に追われ、残業が常態化していたこの時間帯は、社内の空気が重く淀む。廊下の足音は少なく、時折エレベーターの扉が開く音だけが、静寂を破る。

そんな中、28歳の上司、悠真の存在が、蓮の意識を常に引きずっていた。悠真は部署の課長補佐で、落ち着いた物腰と鋭い視線が印象的な男だ。スーツの袖口から覗く手首は細く、指先は長くしなやかで、資料をめくる仕草一つにさえ、妙な優雅さがあった。蓮は最初、ただの先輩として接していた。だが、最近、その視線に囚われるようになった。

朝のミーティングで、悠真の目が蓮の顔を捉える。資料を渡す時、指先が一瞬触れ合う。休憩室でコーヒーを淹れる背中を、悠真が遠くから見つめている気配。決定的だったのは、先週のプロジェクトレビュー。蓮がプレゼンに失敗しかけた時、悠真の視線が静かに注がれ、蓮の背筋を熱くした。あの視線は、叱責でもなく、励ましでもなく、ただ深く、底知れぬ何かを含んでいた。

「これは、ただの気のせいか」

蓮はキーボードを叩く手を止め、独り言のように呟いた。心臓の鼓動が、少し速い。オフィスはほとんど空っぽで、残っているのは蓮と悠真、そして数名のベテラン社員だけ。ベテランたちはすでに片付けを終え、帰宅の準備を始めていた。悠真のデスクは蓮の斜め向かい。普段は仕切り板で区切られているが、今夜は残業の必要から、悠真が蓮の隣に移動してきていた。

「蓮君、まだ終わらないのか」

悠真の声が、すぐ近くから響いた。低く、穏やかなトーン。蓮はハッとして顔を上げた。悠真は椅子を少し寄せ、蓮のモニターを覗き込むように身を傾けている。肩が、触れそうな距離。スーツの生地越しに、悠真の体温が伝わってくるようだった。蓮は息を潜め、首を少し引いた。

「すみません、もう少しで……」

言葉を詰まらせながら、蓮は画面に視線を戻す。だが、悠真は動かない。代わりに、悠真の視線が蓮の横顔をなぞるのが分かった。耳朶が熱くなり、首筋にじわりと汗が浮かぶ。オフィスの空調は効いているはずなのに、この距離が、互いの熱を閉じ込めている。

「ここ、数字がずれているな。直してみろ」

悠真の指が、蓮のモニターを指し示す。その指先が、偶然か意図か、蓮の首筋を掠めた。ほんの一瞬、軽く、爪の感触が皮膚を滑る。蓮の身体が、びくりと震えた。電流のような疼きが、首から背中へ、腹の奥へと降りていく。あれは、錯覚か。悠真の指はすぐに離れたが、残された感触が、蓮の肌を焦がすように熱い。

「ありがとうございます……直します」

蓮の声は上ずり、喉が乾いていた。悠真は小さく頷き、椅子を少し引く。だが、視線はまだ蓮に絡みついている。蓮は必死に画面に集中しようとしたが、集中などできなかった。首筋の痕が、疼きを呼び起こす。悠真の視線が、まるで指の延長のように、蓮の肌を這う。肩のライン、鎖骨の窪み、シャツの襟元。そこに、熱い息が吹きかけられているような錯覚。

周囲の社員たちが、次々と帰宅していく。足音が遠ざかり、オフィスはさらに静かになった。雨音だけが、窓を叩く。蓮と悠真だけが残された空間で、緊張が空気を重くする。悠真は自分の資料をめくりながら、時折蓮を窺う。その視線に、蓮の心臓が鳴る。依存か、好奇心か、それともただの業務上の関心か。悠真の本心は、霧のように掴めない。

「蓮君、君の仕事は丁寧だ。だが、少し固いところがある」

悠真の言葉が、再び近づく。蓮は顔を上げ、視線を合わせた。悠真の瞳は暗く、深く、蓮の姿を映している。肩が今度こそ、触れた。悠真の肩の重み、筋肉の張り。蓮は動けず、ただその熱に耐える。互いの吐息が、微かに混じり合う距離。蓮の首筋が、再び疼き出す。あの指の感触を、求めている自分がいることに気づき、蓮は慌てて目を伏せた。

「固い、ですか……どうすれば」

言葉が掠れる。悠真は微笑んだ。唇の端が、わずかに上がるだけ。指が、再び動いた。今度は資料を指し示すふりで、蓮の耳元近くを掠める。息が、かかる。

「もっと、柔らかく。力を抜いて、任せてみろ」

その囁きは、低く、甘く、オフィスの静寂に溶け込んだ。蓮の身体が、熱く震えた。これは、業務の助言か。それとも、別の何かの予感か。悠真の視線が、ますます深みを増す。蓮は自問する。この疼きは、錯覚なのか。悠真の本心は、どこにあるのか。

雨が強くなり、窓ガラスを叩く音が、二人の間の沈黙を埋めた。悠真の指が、机の上で静かに止まる。その先が、次に何をなすのか。蓮の肌は、すでにその予感に焦がれ始めていた。

(第2話へ続く)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━