この作品は18歳未満の方の閲覧を禁止します。フィクションであり、現実の人物・事件とは一切関係ありません。
## 第1話:妊婦受付嬢の柔らかな視線
産婦人科の待合室は、いつも穏やかな空気に満ちていた。32歳の健司は、最近の体調不良を口実に、ここを訪れるようになっていた。実際の不調は些細なものだったが、診察のたびに感じるあの独特の緊張感が、彼を繰り返しこの場所へ引き寄せていた。
受付カウンターの向こうに、彼女がいた。29歳の妊婦受付嬢、遥。名札にそう記された名前を、健司は初めて見た時から心に刻み込んでいた。彼女の腹部は、柔らかく優しい曲線を描いて膨らみ、淡いピンクのマタニティ服がその輪郭を優しく包み込んでいた。遥はいつも、穏やかな微笑を浮かべて患者を迎える。だが健司の目には、その微笑が特別に映った。柔らかく、どこか秘密めいた光を宿しているように。
今日も健司は、予約票を手にカウンターへ近づいた。心臓の鼓動が、少し速くなっていることに気づく。遥の視線がこちらを向く。彼女の瞳は、穏やかだが深く、健司の内側を静かに覗き込むようだった。
「こんにちは、佐藤健司様ですね。今日はどの先生を?」
遥の声は、鈴のように澄んでいた。妊娠7ヶ月を過ぎたという彼女の体躯は、座っていても存在感を放ち、カウンターの上に置かれた手は、細くしなやかで、指先がわずかに丸みを帯びている。健司は視線を落とさないよう努めながら、答えた。
「ええ、いつもの内科でお願いします。予約の時間通りで」
遥はキーボードを叩きながら、軽く頷く。その動作で、彼女の胸元がわずかに揺れ、健司の喉が乾くのを感じた。なぜこんなに意識してしまうのか。自分でもわからない。ただ、遥の存在が、待合室の空気を変えてしまうのだ。彼女の膨らんだ腹は、生命の温もりを象徴するようで、健司の胸に静かな渇望を呼び起こす。触れたいわけではない。ただ、その近くにいたい。そんな、言葉にできない感情。
予約票を受け取りながら、健司の指先が遥の手に触れそうになった。ほんの一瞬、互いの視線が絡む。遥の瞳に、わずかな驚きと、何か柔らかなものが浮かぶ。健司は慌てて手を引いたが、心の中ではその感触を想像していた。温かく、柔らかいだろうか。妊娠中の彼女の肌は、きっと絹のように滑らかで。
診察室から出てきた健司は、再びカウンターへ。次回の予約を入れるためだ。先生からは「様子を見てください」と軽い言葉をもらっただけだったが、それで十分だった。遥が画面を眺めながら、柔らかな声で尋ねる。
「次はいつ頃がよろしいですか? 一週間後いかがでしょう」
健司は頷きながら、彼女の横顔を見つめた。遥の頰は、ほんのりと上気していて、唇の端に小さなえくぼが浮かぶ。妊娠の喜びが、彼女の表情をより輝かせているようだ。健司は、ふと自分の内面を振り返った。日記に書くなら、なんて表現しようか。「今日もあの受付嬢に、心を奪われた。まるで自分の腹が膨らむような、妙な共感を覚える」とでも。……いや、待てよ。日記に「腹が膨らむ」と書いたら、明日の朝、自分が妊婦になった夢でも見たかと勘違いしそうだ。そんな内省ジョークが、健司の緊張を少しだけ和らげた。
遥が予約票を差し出す。その時、彼女の手が健司の手に、ほんの一瞬触れた。意図的なのか、偶然か。柔らかな感触が、電流のように伝わる。遥の指先は温かく、わずかに湿り気を帯びていて、健司の肌に残る。彼女の視線が、再びこちらを捉える。微笑の奥に、何か探るような光。
「ご自愛くださいね、佐藤さん。またお待ちしています」
その言葉に、健司の胸がざわついた。遥の声は、ただの事務的なものではなかった。柔らかな響きに、親しみが混じっている気がした。彼女の膨らんだ腹が、カウンター越しにこちらを向いているようで、健司は息を飲む。触れそうで触れない、この距離感が、たまらない。
医院を出る頃、健司の心はすでに次回の来院で満ちていた。遥の微笑が、脳裏に焼きついて離れない。あの視線に、何か特別なものが宿っているのではないか。妊娠中の彼女の体温が、どんな感触を伝えてくれるのか。期待が、静かに、しかし確実に芽生え始めていた。
一週間後、再びここで。遥の瞳が、自分だけを待っているような気がして、健司の足取りは軽くなった。
(第2話へ続く)